東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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大工一筋40年。友だちいっぱいつくって家族を支えた

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  • 話し手: 川原繁夫さん
  • 聞き手: 鏑木洋子
  • 聞いた日: 2011年9月23日
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親の勧めで大工になる

 大工になったきっかけは、親の勧め。俺、本当は漁師になりたかったけど、なれなかった。親父がね、海の漁師だったの。でもケガしてね。母親も駄目だって。で、大工になった。当時、中学校卒業して男の仕事っていえば、漁師か大工のどっちかだったんでねぇかな。親が、先に兄貴を大工にさせたんだ。で、俺もついでに大工になれっていうこと。でも、やっぱり年取っても漁師はやりたいなと思ってる。

 大工はね、五年は親方に奉公しなきゃいけんからね。中学校卒業してすぐ3日後に、親戚頼って、山田町の親方に奉公にいった。親方の家に住み込んで、夜明け前の4時頃に起こされて朝仕事。まず材料運びから始まって、その日の段取りをつける仕事。あと、ノミとカンナの刃物研ぎだわね。切れなきゃ仕事にならないからさ。大工さんは刃物が切れねば駄目だって言われた。それのまず勉強だからね。その後、ご飯食べて、すぐ仕事場に行って、戻ってまた夕ご飯食べて、で、夜はまあ仕事はないから、その日の道具をちゃんと見て、そしてまた、朝、研いで。そういう繰り返しさ。夜はテレビ観て、まず遊んでた。大工の友だちのところに行って、仕事の話したりね。

 5年間は仕事を覚える見習いだけど、俺は4年だったのさ。で、職人になったわけ。親方が5年目に入ったからもう身上がりっていって、職人になるわけさ。それからまず給料貰うわけだ。親方さ、2年手伝ったのさ、職人として。親方のところは、22歳ぐらいまで働いて、地元に来たの。大槌、釜石方面の地元でそちこち働いて。で、東京のほうに行ったり。独立したのは、やっぱり次から弟子が入ってくるべ。そうするとね、やっぱり後輩さ、悪いんだよ。職人がいっとさ、主な仕事は職人がやるでしょう。そうすると、いつも見習いはほんとうに後片付けとか、そういうのばっかりさせられるのさ。だから、俺は独立したかった。先輩でもみんなそうしてきたのさ。だいたい2年、親方さみんな手伝って、自分でもよそさ行って独立して、職人になって働く。

 独立した後は一人親方。友だちさ作って、仕事やっていれば、させてくれって言って、まずそこで仕事働いて終わって給料貰ったりさ。また次の現場に使ってもらったりさ。そういうふうにして。だから、友だちいっぱい作って。だからいまは、遠野方面の人もけっこう知ってるの。

 津波で、親父が亡くなったときに、遠野のほうで火葬してきた。このへんは火葬できなかったんだから、みんな県外だって言った。で、遠野の大工の友だちさ電話して、「火葬できねえんでそっちでやりたいんだ、火葬できっべかな」って聞いたっけが、「ああ、市内さあっから、んだら、そいつさ申し込むべ」つって、申し込んでもらって、それでその日に火葬してしまったの。この前、遠野祭りがあったのさ。お刺身作る魚を持ってって、その男さ、お礼に行ってきた。そういう友だち、次から次でいっぱい作って。どこさ行けばどこどこのやつがいるとか、こっちに行けばこっちの友だち作って。だから、一人親方で行って働いて、そうやって給料取ってきて生活して。

 東京のほうさも、遠野のほうの人たちと一緒になって仕事に行った。宮大工さついて。遠野のほうは宮大工が多いからね。茨城とかさ、仙台。いちばん群馬県は長かったな。3ヶ月。群馬県は太田市のお寺やったときね。

 いまはちょこちょこしか仕事がないからさ。いまの若い衆は、墨つけてね、家建てるっていう人は案外いないんでねえか。柱に墨つけて、組み立てるまでの印、いまは機械でやってますよ。いまはハウスメーカーだから、組み立て式でしょう。

 

朝から晩まで働いた

 結婚は25ぐれぇだな。おっかあは地元の学校の2つ後輩。結婚してから、一軒家を借りたったの。そのとき、俺は3日ぐれぇ嫁捨てたんだ。仕事がさ、遅かったりして、おっかあの夕飯食べなかった。おっかあは黙ったっけ。いまでも、憶えてる。

 仕事やってれば、朝早いからね。8時までっていえば、段取りやったりするから早めに行くのさ。時間までに間に合わないとね。仕事は、釜石、大槌が多かった。地元はあんまりなかったね。一般住宅の新築。あとはリフォームとかね。最近は、一般の木造がなくなってきたから、リフォームは多かったね。

 最近は、大工をやめてる人が多いよ。仕事がないからってね。大工の仕事は、道具がかかるんですよ。手間賃よりも道具のほうが高いからさ。俺は、タバコ節約して道具を買ったりさ。俺は、そうやったな、生活があるもんだで。遊びっていう遊びしなかったから。大工一筋だ。

 20代から40代あたりまで、子どもも食い盛りのときだから、4時、3時頃起きて、ワカメ刈りの手伝いしてね、6時半ごろまでに帰ってくるんですよ。そして、ワカメを岸壁に上げたら、大工の仕事行って、そうやって働いたりした。

 

親として ?中途半端はするなよ?

 子どもは5人。長女と長男、次も男。で、今度は女2人。末っ子の三女がまだ高校だから。長女とね、末っ子が15ぐらい違うの。長女は大船渡のほうに嫁さに行って、孫2人。次女は埼玉にいる。長男はまあ、カツオ船に行ってて、漁師。次男は赤浜のほうに住まい持ってた。津波の日は、大船渡にね、警備員の仕事に行ってやったの。うまくね、その日の夜、釜石まで帰ってきたんだって。で、嫁さんが釜石のね、老人ホームに働いてたったから、そこのところに行って、一晩泊まってきて、次の日に帰ってきたった。

 長男はね、普通高校じゃなく、静岡のほうの1年の漁師の学校に行ったの。中学校の先生に呼ばれて行ったんですよ。先生、何で呼ばれたべって言ったっけ、実は息子がそういう静岡の学校さ行きたいので、一応、親から承諾を得て、学校さ入ってもいいかっていうことを確認したいって。俺はまあ漁師になるつもりならば、まずいいって言ったのさ。俺は認めたがったのさ。で、息子は、魚獲るほうの船さ乗りたいって。まあ、俺は反対しないから、最初に獲った魚は先生さ、食べさせっこって約束すべしって。本当に送ってよこした。で、俺、先生さ、持って行った。俺は、本当にそれをやるって言えば、「途中で、駄目だから脱落してもいいども、絶対に中途半端にはすんなよ」とは言ってた。いまは漁師で沖に行ってっから、静岡の船だから1年に1回しか帰って来ない。魚を水揚げすると、自分のタバコとか、飲み物とか、自分の買い物して、仕込みやれば、すぐ出るんだ。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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