東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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吉里吉里は「本当にいい町」

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  • 話し手: 前川竹美さん
  • 聞き手: 若尾健太郎
  • 聞いた日: 2011年9月23日
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震災時 ―家も何もなくなったけど―

 あの津波の時はですね、ちょうど私のおうちのすぐ前に山があるんです。そこに1回上がったんですけどね、そこに上がった時に、海が真っ黒、大きい波が来たんです。そして、その山に上がる前に、近所に足の悪いおばあさんがいたの。おはあさんのお嫁さんたちが働きにでていて、一人でいたんですね。そのおばあさんを、うちの息子の嫁さんが連れて上がるのに、すごい苦労したんです。足が悪いおばあさんだから、ひっぱったり、押したりして上げましたね。

 私は、4歳と小学校の孫で大変だったし、中学校の孫は4歳の子どもをおんぶしてました。それで、高台に上がった時に、この湾が見えないくらい、おっきい波が見えてましたよね。本当に大きい波でした。波頭に煙がいっぱいたって。で、その波がね、どこで崩れるともなく、もうわーっときたんですよ。その時に、私のうちが高い方だったので、まさか流されると思ってなかったんだけど、高台から波が越えてったの、越えてった波で、うちも、はあ、ひと波でなくなったんです。

 波が来た時にね、すごい男の人たちなんだか、女の人たちかの声が聞こえたんですね。その後、波が引いたら全然、その声が聞こえなくなったんです。その声が今も夜になるとね、時々耳から離れないんです。

 ちょうど高台に上がって行く途中、息子が、流れてきた人たち2人を助けたんですね。1人の人はまだ波の来ないうちに引っぱり上げました。もう1人の人は流されていて、松の木に掴まってたのを引きずり上げました。よかったです。

 波っていうのが、あんなにも来るものなのかなと思いましたね。1回来た波はもう、私のうちの下を流れた時は、ああ、津波なんだなとは思ってたんですけどね、その波が引くことなくずっとずっと、「ださーっ」て来ましたものね。そういう波は、見たことないですね。本当におうちなんかも流れて行くのは、一瞬ですね。海の方に流れたんだか、流されたものは何にも見つけないですね。本当に、1時間か2時間の間で、吉里吉里の町が一瞬でなくなりました。みんな流されて、多分海に行ったんだと思いますよ。去年の11月に死んだお父さん(夫)の位牌も流されました。息子が、毎日、海の方から家の方に歩いて通って通って、2週間経ったころに、父の位牌を見つけたんです。その時、本当に嬉しくて、涙が止まりませんでした。そして、2か月くらい経ってから、うちの人の父親と亡くなった子どもたちの位牌を、ボランティアの方々が見つけてくれたんです。おかげさまで、みんな見つけていただいて、今はみんなと一緒に仏壇にいます。きっと安心していると思います。そうであってほしいですね。

 

震災後

 山に上がって、津波が引いた時は、みんなで泣きましたね。「なんにもなくてもいいよ」って。「みんな助かっただけでいいんだよ」って。まず本当にね、命があるだけでね。「何にもなくてこれからどうしようかな」とは思いましたけどね。

 その後、息子と中学校の孫は勤労奉仕、道路をつくるためのお手伝いをずっとしてましたね。吉里吉里の人は、創造センター(おおつち郷土資源創造センター)のグランドにヘリポートもつくってね。だから、怪我した人たちがヘリコプターで盛岡の方に運ばれたりしてましたね。消防の人たちも一生懸命でした。私たちは、小さい子どもがいるので、息子のお嫁さんの実家が、大槌の奥の山の方にあるので、お嫁さんのお父さんが迎えに来て、そこに家族7人5か月お世話になりましたね。

 すごくいいお父さんとお母さんなんですよね。お父さんもお母さんも、すごく気をつかったと思うんですよね。本当に良くしていただきました。あっちのお母さんの人たちが百姓してるからね、食べ物もすごくいただいて、不自由しなかったですね。娘の旦那の実家も石巻で百姓なんです。そこからお米もいっぱい送っていただいてね。いっぱい頂いたので、私たちだけでなくてね、他のみんなにも分けて食べさせたりしましたね。

 でも、電気がつかない間は大変だったですね。電話も通じないから。風呂もガスがあっても、電気がないからお風呂が焚けないんですよね。昔の田舎のうちだから大きい「くど」っていうのがあって、そこで火を燃すの。くどって、土やレンガみたいなので造った竃のこと。お父さんが毎日朝起きると、大きい釜で、たき火を燃して、お湯を沸かしてくれるんですよね。それで、子ども、孫たちをお風呂に入れたりね。私たちも2週間くらいお風呂に入らなかったのかな。ご飯もね、大きい釜で炊くんです。その時も、あっちの家族は3人で、避難してきた私たちを含めて14人いたったんです。だからね、その方たちもいたから、私とお嫁さんは、常にご飯の支度をしてましたね。お母さんはご飯炊いて、お父さんはお湯沸かしてくれたり、買い物に行ってくれたりしてね。1か月半くらい、その人数でいて、あとは10人で5か月いましたね。でも、みんなでいるから元気が出ますよね。あっちのお父さんも山のものを採ってきてくれたりね。それをいろいろに作って食べたり、食べさせたりしてくれました。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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