東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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地域のみんなにお世話になった恩返しをしなくっちゃ

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  • 話し手: 千田勝治さん
  • 聞き手: 七井舞
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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「カバネヤミ」の漁業経営

 カキ養殖はうちのおやじの代から始めたんだけど、おやじは私が23の時に、カキを揚げに海に行って、間違って船から落ちちゃって亡くなったんです。私はそれまでは仙台でサラリーマンをしてました。私の結婚式まであと10日というところだったの。おやじが亡くなったという通報があって急に帰ってきて、翌日潜水夫が入って、海の底から発見されたのさ。それが私の人生の大きな転機だったのね。長男だから家業を継ぐために地元に戻ってきたけど、最初は全然わからなかったから、部落の人やじいさんに教えてもらったね。おやじは死んだけど、じいさんは生きてたから大分助かったのね。

 23歳のときは違う夢を抱いてたんだけどね。スーパーの経営をやりたいと思ってたの。小田原や箱根の小涌園なんか行って研修を受けてたのね。スーパーの経営の理論を会社で働きながら学んで、いつかは経営者になりたいと思って研修してたのね。働き出したのは高校卒業してすぐ。働いて5年目になってたわけだけど、おやじが亡くなったので、スーパーどころじゃない訳ね。

 漁業を一から始める時、私らは小さいころからおやじと一緒に船に乗ったり海に行ってたりしてたから、船に乗ること自体への抵抗は全然なかったの。あと、養殖をするためのロープを結ぶ技術とかはじいさんから教わったから、あまり苦労せずにやれたの。ただ体はね、重労働だからね、当時は小さい船だったしね、体一つで全部の作業をしなくちゃいけなかったの。だからかなり大変だったね。

 うちのやり方で一つよそと全然違うことはね、人を雇用して経営する、という考え方だったの。漁業ていうのはね、朝が早いんですよ。カキの養殖の人なんていうと、朝早い人だと2時に起きて作業する。だけど、私はサラリーマン時代に8時?17時のサイクルがあったから、はじめから8時?17時しか漁に出なかったの。他の人たちは2時、3時に起きて作業してるから、私は地域の人から「カバネヤミ」と言われたの。要するに怠け者ということ。

 でも、それはみんなの考え方でみた私のやりかたなんです。まず、みんなは2時、3時に仕事をしているから、私はもちろん仕事が遅れるけど、それをカバーしたのが雇い人てことね。当時の昭和40年代というのは、うちのやり方のような、雇い人を使った経営はほとんどいなかったから、珍しいけどそのやり方で経営したわけ。

 もう1つの特徴は、息子3人がみんな後継者として継いでくれたっていうことかな。今まで後を継げなんて一言も言ってない。高校卒業してから数年は、社会に出て会社に勤めたよ。でも、自然と親父と一緒の仕事をしてみたいと息子たちみんな帰ってきたわけ。8時?17時の時間だったから入りやすかったわけ。多分俺が2時、3時から海の仕事をしてたら、誰一人戻ってこなかった。今は東京でもうちのカキを食べたいっていう声をもらっていて、今回の震災でも励ましの言葉をいただいてんの。だから漁家をやめられない。

 

消防団は最高のボランティア

 陸前高田に戻ってきてからは、親父が海で亡くなって、消防団にお世話になって海を捜索してもらって、地域のみなさんに本当にお世話になった。そのことをその時に感じたから、恩返しをしなくちゃという思いから、地域の色々なことをお世話しているうちに、現在市議会議員になったという経緯になるわけですよ。例えば養殖組合だとかね、あと交通安全協会をやったり、漁業士会の会長をやったり、それに大船渡市の漁業士会をやったり、いろんな漁業の組合のお世話役として顔を出したわけ。もちろん消防団にもお世話になったから、陸前高田市の800人いる消防団の副団長までやらしてもらいました。

 消防団は今回の震災でも大活躍だったように、遺体の捜索だとか、火事が起きた場合は仕事があってもそれを投げ出して消火活動に行かなければならない。そういうボランティアなわけ。自分の命を顧みず危険な場所に行くものだから、最高のボランティアと言われてるわけ。

 入団したのは25歳のころかな。入ってからは規律訓練を受けましたね。行進の訓練をやったり声出しの訓練をやったりと、自衛隊と同じような訓練を消防団もやるの。消防訓練を受けてないと、実際に火事が起きた時に素早く動けないからね。ですから消防団の訓練ていうのは、自分を鍛える場にもなるわけさ。実践のために経験をさせる訓練になるの。

 消防団に居て辛いのは1月、2月の火事で、軍手をかけてやってるんですけど、それがカチカチと凍ってくるんですよ。寒い中ホースを使わなきゃいけなくて、水出しながら手が凍ってんの。それでもやらなきゃいけない、消し終わるまでは。

 消防団で活動をしたのは34年間。人生の半分は消防団でボランティア活動をしてきたからね。その分地域の人たちと交流する機会は多くあったね。もちろん消防団の先輩、後輩もできるわけだし。消防団は一番人間関係が構築される場所なんですよ。消防団に入ることで、町の中で見たことも会ったこともない人と繋がりができてネットワークができるし、コミュニティもできる。消防団に入るといろんな業種の人が団員になるから、飲み会の時にお前何やってんだ、って話してるうちに、お互いに理解できるころが消防団だからこそなのね。海に居ると漁業関係の人としか繋がりが持てないわけだから、偏ってるわけさ。今は息子の眞が現役の消防団員として勤めてるけどね。親子2代で消防団員に入っているのは陸前高田ではうちが初めてかな。親子団員だね。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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