東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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人とのつながりに生きる70年

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  • 話し手: 及川トシ子さん
  • 聞き手: 葉山大樹
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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田束(たつがね)、つながりの深いとこ

 近所付き合いはすごく良かったよ。声を掛ければ皆寄ってきてね。喜びがあっても悲しみがあっても、皆で手伝いに歩いて行動してました。本当に皆に助けられてきました。この部落は出稼ぎ者が多くて周りの皆もそうだったから、こんなものかなと思って生活していましたよ。家の隔たりもなくて、子供たちはのびのびと遊んでいましたよ。

 あとね、毎月1回、20日に公民会で集会があったの。納税のお金を持って行きながらお話していたの。お父さんがいないから、行かれない事情がない限りほとんど私が出て行きました。男性と女性と色々な話が出来るし。世の中に出ることでいろんな人に会って話すことが勉強になるし。こうやって、定期的に会うことでつながりとかが深まるから大事なことだと思うね。お父さんがいなくても、こうやって地域のつながりがあって良かったと思います。

 つながりは大切だね。やっぱり皆の力がないと1人では生きていけないもんね。周りの人との付き合いって一番、何よりも大事です。

 

伝統芸能、剣舞

 3年に1回ずつお祭りがありました。うちのほうの田束部落は剣舞をやっているんです。剣舞っていうのは、鎧きて、面かぶって踊るんだけど、これは田束部落に昔からずっと伝わっているもので、岩手の世田米(せたまい)から来たおじいさんが教えたって言われています、それを未だに子どもたちも大人も皆でやっています。伝えていくためには皆でやらなくちゃならないからね。お祭りはにぎやかで盛大で本当に楽しくて、今は見て楽しんでいます。

 毎年10月に小友中学校の校庭で町民運動会がありますよ。小友町にある10の部落ごとにまとまって、年代ごとにリレーとか玉入れとか綱引きとか、色々競技をやるの。何の競技に誰が出たとか、毎年記録を取りながらね。

 

大地震が来た時

 津波の日は、お父さんはちょっと高田の方に出掛けていて家にはいなかったの。私とおばあさんとで2人で家にいたの。外に出たら地割れはしているし、すごく怖くてね。

 お父さんが帰ってきて、大津波が来るって無線を聞きました。そのうちに娘も勤め先から帰ってきて。そしたら津波が只出(ただいて)海岸の方からきました。黒っぽいような白っぽいような、うねりになってきました。

 それから身支度して慌てて家の裏山に避難したんです。4人で、やっとの思いで行きました。でも裏山に上がると同時に、今度は別の方からすごく高い、深い波が来て。そうしたら、波同士がぶつかってより高くなってしまってね。その反動が私たちの住んでいる部落にずっと上がって、12軒あるんだけどほとんど被害にあってしまったの。私の家は12軒あるうちの一番下で海から近い所だったの。家が流れるのも目の前で見ていてすごく怖かった。

 そのうちにだんだん収まってきたので、山道を休み休み、3時間くらい歩いてこのモビリア(避難所。現在仮設住宅のあるキャンプ場)まで来ました。もう18時になっていたかな。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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