東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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人とのつながりに生きる70年

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  • 話し手: 及川トシ子さん
  • 聞き手: 葉山大樹
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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大変だった避難所生活

 電気もつかないし寒いし、すごく大変だった。3ヶ月間はモビリアのハウスセンターで、もらった物資でみそ汁やおかずを作って食べさせていました。朝は5時半から、夕方は16時から80食位作ってました。時間に縛られていてすごく大変でした。

 でも、ここに避難している人も同じ部落の人がきているからね、すごくいいんですよ。外に出れば顔の知れてる人ばかりだし、挨拶とかできるし、助かるの、顔出せばおはようって。何やってたのって。避難所は同じ部落の人が避難したから、力強いの。同じさみしいにしても力強い。お父さんがいない時にこうなったらどうしようかと思った。お父さんがいたから助かった。気持ちが違うね。

 そして6月になってから仮設住宅に移りました。大人4人で2DKだったし、物資で荷物もらったりしていて狭かった。そこに10月までいて、1DKが空いたので11月から娘は1人でそこにいるんです。

 

今の生活

 お父さんはがれきの撤去をして、私はおばあさんのお世話をしたり、ご飯作ったりして過ごしています。あと、仮設住宅の下の方に畑があるから、そこで野菜を育てて、食べる分の野菜は採れているんです。ホウレンソウに白菜、大根、小松菜、ニンジン、トマトとか色々ね。津波に遭って塩かぶってしまったからどうかと思ったけど、ちゃんとできましたよ。来年は少し見込みあるかなって。

 お父さんが帰ってきたから、もう少し農家の方も楽に働けるなあと思っていた矢先に津波が来たからね。機械も全部流されて、田んぼもいつできるかわからないので、百姓は無理かなって思います。

 あと、朝に散歩をしているんです。仮設にきてから仕事が出来ないので、展望台の方まで歩いて往復30分。朝6時15分に起きて毎日やっているんです。お友達と一緒に行くんだけど、散歩コースも良くて歩くには良いんですよ。家にいた時は仕事がいっぱいで、こんなこと考えたことないの。ここに来たら仕事がないでしょ、じっとしてるのが大変なんですよ。

 

これから

 今やってることで精一杯。新しいことはまだ考えられてない。年齢も年齢だしね。今までのような無理はできない。お父さんと2人で1つになって何かやれたらねって言ってるけどね。2人でやれば楽だからね。私に出来ないことはお父さんに頼んで、できるぐらいで頑張りましょうって。

 あと大きなことは家を建てなきゃいけないからね、それが一番の問題です。早く家建てて安心したいなって思います。前の土地は駄目だから高台にね。5人で組めば県と国で造成してくれるって言うんだけど、それもまだ決まってないし。土地は山としてあるんだけどそれを個人的に造成するには大金がかかるでしょ。だから、まず5人でやれば少しでも安上がりになるかなって。できれば集団移転の方がいいなと思うけどね。やっぱり今の土地から離れたくない、今までずっといたから、よそには行きたくないっていうのは強いね。同じ部落の人とのつながりをできれば継続していきたいね。わが家を持ってから、これからのことは考える感じです。

 

【プロフィール】

話し手:及川トシ子さん

陸前高田市の広田町で生まれ、23歳で小友町に来て以来、米、野菜、花などを作る農業を営んでいた。現在も家の近くの畑で野菜を作り生活している。

聞き手:葉山大樹

玉川大学文学部比較文化学科3年

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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