東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 佐々木さとみさん
  • 聞き手: 福島空
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 064/101
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山も海も、おいしいよ

 春になっと山菜でしょ、タラの芽、ワラビ、蕗、ミズ、葉ワサビ。山入っとなんでも採れっから。お客さんも持ってきて料理してけろって言うし。あとほら海もあるから、春先んなると、メカブ。私はメカブはたたいて(刻んで)出すだけじゃないんです。メカブ焼いて青くなるよね、それを醤油と七味で食べたり、天ぷらにしたり。それがまたね、おいしんです。海藻はマツモあるし、ヒジキあるし、とにかくなんでもあるの。ワカメもあるし、でもワカメもワカメばかり出したんではあれだから、いろんなアレンジして出してたから。素材があればね、まづね、何でも挑戦してみたのさ。おいしければさ、いんだから。

 あと、夏場はほら、ウニが出てくるでしょ、ホヤとか。けっこうおいしいものが。ホヤなんかもゆでたり、味噌につけたり、あとはホヤの塩辛作って食べさせてやったり。もちろん生ホヤはおいしいよ、志津川町は生ホヤでやってっから。

 うちはお客さんにボウルで出すんです。取り皿と、ドン!て。お客さんもそれがいいわけ。はらこも、本家がサケ屋だから、ご飯をドン!はらこをドン!て出すの。そいつはほら、タダだから。お客さんもそんなのが良くて来るわけさ。そういう店って都会なんかないと思うわけ。田舎もないけどね。ドンって出して、ハイ入れもの!ハイすくいもの!って。トッピングとかそういうのは無いのね、一切ね(笑)。

 出たとこ勝負の料理っさ。習ってきたわけでもないし。田舎料理そのまま出して。そ、おいしいよ。

 

お盆料理、秘伝の餃子、シメのラーメン

 毎年8月14日にね、東京からオートバイククラブの人たちが、ぐるっと走って来るんだけど、うちで志津川町のお盆の料理を食っていくんですよ。14日っていうのは志津川では必ずお墓参りするもんだから。油麩ってあるでしょ、あれとなすびとミョウガを入れたスープで、うどんだけなんですよ。これがまた絶品なんです。バイクで走ってきて、それを食べてうちで交流して帰っていくんです。

 あとはうちは餃子、辛い餃子ね。大人の餃子よ。仙台でお店やってた友達が餃子教えるからって、オヤジと2人で通って教えられた味なのさ。だからその味が恋しくて、仙台からも人が食べさ来たんですよ。その餃子が、風邪流行るとね、看護婦さんたちから持ち帰り用の注文が入って。生そのまま持ち帰って水餃子にして食べる人たちもいたし。結局、風邪防止。寒くなってくるとそういう商売もね。まあ、金曜日だね。ほらニンニク入ってるから。銀行の人たちは「俺、明日下向いて仕事してっから」って、それでも食べたがる。それは今息子が秘伝を継いで。その餃子はずっとありますから。

 あとラーメンも。支那そばってのかな。私肉嫌いなもんだから、あんまり肉っつの使わないんですよ。昔ながらの昆布と野菜だけでとったスープで。結構あっさり味で。それが、呑んだ人たちに最高ね。今ほら、コレ(メタボリック症候群)で脂はドクターストップだからって、「呑んだらさとみのラーメンだ」って、ほかで呑んできても。だから、「ここはラーメン屋じゃないぞ」って(笑)。

 

チリ津波をきっかけに居酒屋に

 チリ津波んときも2階まで来たんだけど、あの時は水はスッと引いてったから、家は残って、あとは洗って、乾かして、少しきれいにしてから再開したんだけど。

 もともとは、豆腐屋と八百屋だったんです。でも大きな店が昭和51年にできて、これではだめだと、ほらやっぱ、流れってのは大きいところに集中されるから。うちの息子で今5代目なんだけど、ずっと昔はうどん屋さんだったんですって。それを聞いたもんだから、オヤジは学校が東京で、その時にちょこっと料理の修行をしてきたんで、ラーメンも出す居酒屋みたいなのを始めようと。そうやって、チリ津波をきっかけに八百屋さんから変わってやったんです。お客さん来るか来ないか分からないんだよ、その時はね。でもほら、ちびりちびりとね、来てくれて。

 オヤジが東京から帰ってきて2年目ね、私が隣町の歌津から嫁いだのは。だから右も左も分かんないし、他人様だからよけいなこと言われないし。でも、オヤジは一生懸命な人だったから。

 

「さとみ」だってさ!

 うちの実家は呉服屋なんですよ。それで兄貴が東京に仕入れさ行ってた時に、ついでに提灯屋行って「いま提灯と暖簾に店の名前入れてけれるってけど、なんて名前や?」って電話よこした。名前なんかまだ決まって無かったんだけど、うちのオヤジが「めんどくせ、『さとみ』にしろ」って、そして兄貴も「んだな、めんどくせえな。どうせおめえがやんだからな」っていうことになって。それでお店の名前が「さとみ」に。みんな、志津川町もびっくし(笑)。「『さとみ』だってさ!」て、その前が「やおてい」だったからさ(笑)。

  それを息子がそのまま継ぐから、ああすごいなって。結局ね、名前変えると、お客さんが別な人がやってっと思っちゃうからさ。だから「名前だけもらいたい」ってすぐ店始まったわけさ、6月末かな。子どもたちは多賀城の、ママのお兄ちゃんとこさ引っ越してたんだけど、学校あるから。自分だけ戻ってきて、ママの実家の茶の間借りて始めっからって。えええ!って。すごいね。私の息子にしては、すごいんですよ。やっぱりね、名前だけは残したいから、今どんなとこでもいいから集まるところ作りたいって言って。あと友達の後押しもあったけどね。いい友達だからね。

 息子はこの4月に仕事を辞めたのね、私足悪くて仕事できなくなったもんだから。今はまだ茶の間でやってんだけども、脇にプレハブ建てて、そこで再開するような形で一生懸命やってるから。結構ボランティアの方たちが立ち寄るって言ってるから、あと若い人たちの集まり場みたいになって、そのまま続行してもってくれればいんだけどね。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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