東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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ばあちゃんと生きる

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  • 話し手: 後藤とく子さん
  • 聞き手: 清水玲奈
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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田んぼの中に生まれて

 私は後藤とく子(ごとうとくこ)。昭和26年6月17日に、南三陸から1キロほど、松島の隣町の黒川郡大郷町の、田んぼの中で生まれました。4人兄弟の長女です。真ん中に弟が2人、一番下が妹、全員2歳違いなんです。私と妹は年が6つ離れているので、小さい時は妹をおんぶして遊びに行ったりして、必ず妹が背中にいたのを覚えています。

 私が小さい時は家の手伝いをするというより子守が仕事だったから、友だちと遊ぶ時も妹を連れていきましたね。家が農家だったので、両親は常に田んぼに出て、おばあちゃんが炊事の方をやっていて、おばあちゃんの手伝いは小さい時からやらされましたね。だから、おばあちゃんに色んな事を教わったので、大きくなってからそれがすごく役に立ちました。縫い物も炊事洗濯などの家事のことも小さい時からやらされていたので、私が結婚してからもあまり苦ではなく自然とできました。私は健康優良児で体格がよかったので、小学校2、3年の時にはあてにされていたというか、家のことはやらされていましたね。田んぼに行って田植えとかも全部やらされたので、6年生くらいになったらもう大人と同じ仕事ができたので、今になって思うと良かったなぁって思います。その時は、友だちがみんな遊んでいるから、何でうちだけ田植えや稲刈りなのって思ってすごく辛かった。遊びたいなぁと思いながら手伝っていました。自分の子どもには家事を全然教えていないから、「あぁだめだなぁ」って思います。

 

ばあちゃんと私

 祖母が縫い物が得意で、60歳くらいの時、家で食事の世話をしながら自分の時間で常に縫い物をしたり編み物をやっている人だったんですよ。その影響でね、私はそれを見ているのが好きだったんです。小さいからできないというか、小学校1、2年生ではあまりやらせてもらえなかったというのが本当なんですけど、それをずーっと見ているのが一番楽しくて好きだったんです。高校ぐらいの時にはもう自分でスカート縫ったりブラウス縫ったりして着てましたし。レース編みが好きで、学校がバス通学だったので待ち時間にずーっと編み物してたりとか。それで、うちはあまり裕福ではなかったので、材料を買ってもらえなくて。友だちが新しいキットを持ってきてやっていると、じーっと見て「あぁこういう風にするんだぁ」みたいな…。ただ見ているだけで楽しかったんです。

 手芸って趣味の世界なんですけど、それはずっと今も続いています。だからこの震災があって、何もすることがなくなった時に、手芸を一番先にやりたいって思いましたね。家を流されたのは仕方ないのだけれど、ミシンとか手芸のそういう物を流されたのがすごい悔しかった。作ったものもありましたし、手芸の色んな物、レースや糸や布でも結構集まっていたので、それを流したのがすごく悔しいですね。だから、妹に「何欲しい?」って言われた時に、一番先にミシンって言ってしまいました。こっちは冗談のつもりで言ったのね。でも「じゃあ私使わないからあげっからー」って言われて、なんかその時すごく嬉しかったですね。手芸があったら生きていける。人が持っている物につい目が行ってしまうの。何かの時に、「あ、これ頂き」って思うんです。ずっと仕事をしていたので、「時間を作ってやる」っていうのが1つの楽しみ方で、暇がいっぱいあるとなかなかやらないんだけど、家事をやりながら時間を作ってやって…おばあちゃんと同じことですね。自然とそうなっているんですかね。

 

趣味と実益を兼ねて

 中高は手芸部がなかったので、そういうことは休み時間にずっとやってましたよ。常に針とかを持って歩いていましたね。自分で「こういうの欲しい」と思って作ったり、友だちへのプレゼントにしていました。で、作って出来上がると見せたくなるの。そして見せびらかして「わぁ、良い、欲しい!」とか言われるとあげてしまう。「また作れる」みたいな…。何枚でも何枚でも作りたいから、自分で持っていても仕方ないから「あげちゃったらまた作ればいいや」っていうのと、自分のやったことを褒められて、認めてもらったみたいで、そういうのであげてしまうんです、今もそうだけどね。友だちで手芸をやっている人が1人2人いて、常に目新しいものを持って来てるの。だから常にくっついていたような気がする。

 高校生になってお小遣いをもらえるようになってから、材料を自分で買えるようになって、その頃から本格的というかずっとやっていたわね。やりたいものはみんなやっていたわ。新しいのができるとやりたくなるので、お小遣いの半分以上はそれに使っていたかもしれない。誰かにプレゼントするっていう目的があると力が入るじゃないですか。「あの人にこんな感じで」ってイメージして。そういう目的があると「10分でも欲しい!」ってやってました。

 でもそうやってやったことが趣味と実益を兼ねて、生活の糧になるくらい。昔は趣味だったんだけど、今はそれで稼げるのよね。震災の前は、ボックスショップに出してお小遣い稼ぎをしていたし、震災の後に、入谷に災害復興支援の事業で内職センターっていう働く場所を作ってもらったんですよ。手作業なんですけど、そこですぐ働けたんです。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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