東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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ばあちゃんと生きる

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  • 話し手: 後藤とく子さん
  • 聞き手: 清水玲奈
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 065/101
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就職して、職場結婚

 18歳の時、仙台コカコーラに就職して、営業所の経理の事務をやっていました。高校卒業の間際に簿記の1級を取ったんです。実は3級を取れば単位はもらえたんですけど、それもハマっちゃって、すごくおもしろかったのね。それで1級まで受けたら受かってしまったの。数字が好きなのかも、小さい時から。

 高校を出たらすぐに仕事がしたかったので、資格を持っていれば有利だし、勉強がおもしろかったというのもあって。お給料もよかったので、コカコーラに入れたのはすごくラッキーだった。就職した時は経済が伸びている時期だったから、入ってすぐボーナスをもらったり、今とは全然違いますね。

 そこで5歳上の主人と知り合って、ハタチの時に職場結婚したの。年は離れているのだけど、主人は別の仕事をしていたから実は私と同期なの。やっぱり年上だし、私は長女だからお兄ちゃんに憧れがあって。全てが大人なんですよね。そういうところが良かったし、すごく明るい人だったからね、それに惹かれたのかもしれない。結構物知りで、何でも率先してする人…行動力があったかなぁ。

 結婚は、父親に大反対されてね。実家が農家だから、農家に嫁がせようと思っていたみたいで、サラリーマンでまだ年も若いし。それを、主人が手紙を書いたり家に訪ねて来て親を説得したの。父は頑固だったけど、慣れない農家の手伝いをしてくれるうちに、仕事をしながら人柄に接する時間が増えて、自然と許してもらえたんです。許してもらえるまで半年くらいかな…今考えると怖いわね、何もわからなかったから。何も知らないって、強い半面怖い気がする。父は厳しかったけれど、母は柔軟性があるというか、相談すると何でもやんわりと包んでくれる優しさがあって、バランスが良かったわね。

 

志津川へ

 結婚して16年多賀城にいたの。長男が生まれたのが結婚して8年目。主人のおじさん夫婦がいたのだけれど、おばさんが亡くなったので、長男が1年生の時に、おじさんの面倒を見るということで子ども2人を連れて、私は志津川に。転勤もあったので主人はずっと単身赴任でした。

 あまり隣近所もよく知らなかったので、とにかく友だちを作ろうと思って、長男の小学校のPTAに手を挙げたのね。そのおかげで先生とも仲良くなれて、それ以来毎年、三男が中学を卒業するまで役員をやっていました。何か行動を起こさなきゃだめね。自分から求めていけば何か拓けるというか。震災後すぐに仕事が見つかったのも、常に「働きたい」と発信していたからだと思うの。趣味を通しての友だちがいたというのも大きいし。

 仕事を4つやっていたんです。1つは生協のメンバー同士の交流会の企画や運営を20年ほど。志津川から気仙沼までのエリアを担当していたので、友だちが沢山増えたわね。他には、役場で消費生活相談員として振り込み詐欺や悪徳商法の相談を受けたり、土日に釣り堀で15年ほど仕事をしていたの。あとは、洋品店から洋服の袖や裾を詰めたりする内職をしていたわ。みんな長いけど、どれも辞めたくなくてね。

 震災のあと色々助けてもらったのも、絆だなぁと思った。兄弟の絆、今まで大事に育ててきた友だち同士の絆が今回本当にありがたかった。津波でメモも全て流されて、連絡先がわからなくなっていたから。頭が真っ白になるというか、脳みそに血が集まっているような感覚。一生懸命考えようとしても、何も考えられないの。そういう経験は2回目…。1回目は主人が事故で突然亡くなった時。主人は15年前に亡くなって…事故で。亡くなった時は52歳。

 津波の後、頭が真っ白になってしまった時は、しょっちゅう電話をかけている実家の電話番号がわからなくなった。でも、息子に助けられました。息子は3人いて、良いところ悪いところをそれぞれが持っている気がするの。次男が一番似てますね、頑固なとことか何でもやりたがるとことか、他の人に気配りするところが。だから次男なんだけど、兄弟を仕切っている。小さい時は扱いにくかったけれど、大きくなってから一番頼れる存在なの。

 

ばあちゃんの教え

 私は祖母が好きだったから、いつも大好きなばあちゃんにべったりくっついていたの。ばあちゃんが、友だちとお茶を飲む時にもくっついていたわね。ばあちゃんはわが道を行く人だったから、「人の家は人の家、うちはうち」とよく言われたのを覚えているわ。それは今も残っていて、我が家もそうなっているかもしれないわね。息子が小さい時、運動着の膝に穴をあけるとアップリケをしたのだけれど、子どもはそれが嫌だったみたい。でも「うちはうち」と知らないふりをしてたわ。でも大きくなって、息子たちは人と比べたりせず、自分が思うことをしていて、おばあちゃんの教えが生きている気がしますね。何か欲しいものをねだられても私は厳しかったみたいで、今になって「お母さんが一番強かった」なんて言われるんです。長男が1年生の時に志津川に引っ越した時も、そこでいじめがあったみたい。それを6年生の時に聞いたのね。「いじめる方がバカなんだ」みたいに考えられる子だったんだねぇ…。それもおばあちゃんの教えなんじゃないですかね。聞いた時は驚いたけど、自分なりに対処してたのね。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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