東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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ばあちゃんと生きる

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  • 話し手: 後藤とく子さん
  • 聞き手: 清水玲奈
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 065/101
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家族と兄弟の絆

 2月から嫁が働きに出たので、孫を預かっていたんですよ。1ヶ月ちょっと預かってからあの震災で、孫はあの時まだ5ヶ月だった。自宅は海の近くだったので、津波の被害に遭って、全部ないです、きれいさっぱりと…。だから孫を流さなくて良かったなぁって。家族が無事だったことが、後になって尚更良かったと思った。物はなんとでもなるけどね、人の命はどうしようもないですからね。我に返った時、「あぁ命があっただけでも良かったなぁ」って思える。

 昔は兄弟と喧嘩しましたけど、今、大きくなってからは兄弟4人もいて良かったなぁっていつも思いますね。特に今回の震災があって感じましたね。今は弟が1人だけ青森にいるんですけどあとはみんな県内にいるので、すごく頼っちゃいました…。3日くらい連絡は取れなかったんですけど、やっぱり実家の弟が一番先に駆けつけてくれたし、一番下の妹も1週間くらいしてかなぁ…来てくれたし、青森の弟は1ヶ月くらいしてからなんですけど、落ち着いた頃に来てくれて、「欲しいものないか?」みたいな。まず、何もなかったので、「今一番必要なものは何?」って聞いてくれたので、その言葉だけでもすごく嬉しかったわね。そう言われて、その時欲しい物は何もなかったんです、何にも。だから、そう言ってもらえること、その言葉だけで十分だった。

 しばらく次男のところに身を寄せていたけれど、長男と2人で仮設に移ったんです。孫の面倒を見るために、消費生活相談員は12月で辞めちゃって生協も3月で辞めることになっていたんだけど、震災の後、今の仕事の募集を見て次男に相談した時、「お母さんはこれからの設計を自分で考えていいよ」と言われて、ありがたかった。

 

まゆ細工―手芸仲間と共に―

 今の仕事の募集があった時は、すぐに「やりたい!」って言いました。最初は手作りの漆塗りの高級な箸を、みんな太さとか色の具合いが違うので、同じやつを組み合わせて袋詰めする作業だったんです。その後事業が拡大していって、今はまゆ細工をやっています。志津川の入谷(いりや)は、まゆの発祥の地なんですよ。それでまゆを使って、今回の復興のために何らかの事業を興すというので、まゆ細工が始まったのでそっちに移って。すごく楽しいです。まゆって小さくて白いでしょ? それを色んな色に染めて花弁の形にハサミで切ってお花を作ったり。今は、まゆ細工をやっていた友だちが先生で、教わりながらみんなで相談して…。

 まゆはちょっとやったことはあったけれど本格的にやったことはなかったので、もう毎日毎日楽しいですね。新しい手芸が見つかったみたいで、それに没頭しています。箸のほうは9人、まゆは4人で働いています。皆、手芸繋がりで顔見知り。そういう仲間が自然と集まるのね。こういう仕事があるってなった時に、この人だったらできるということで声をかけてもらえて、7月からすぐ働けたのでラッキーでしたね。ずっと趣味でやってきたのが良かったなってつくづく思います。外に出られなくて情報が入ってこないのが不安だったし、1日誰とも会わないのが苦痛になってきて、募集を見てすぐにやりたいと思った。別の仮設の情報も入るし。復興のために興した企業なので、いつまで続けられるかわからないけど、それまでにまゆ細工の事をマスターして、この仕事がなくなっても自分でやれるように今のうち頑張って教えてもらおうと思って。好きなことだから楽しいし、マスターしたら自分のものになるじゃないですか。

 

【プロフィール】

話し手:後藤とく子さん

昭和26年6月17日に黒川郡大郷町の田んぼの中で生まれた、4人きょうだいの長女。おばあちゃんの影響で始めた趣味の手芸が生活の糧であり生きがい。

聞き手:清水玲奈

慶應義塾大学文学部教育学専攻4年

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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