東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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夢中で駆け抜けた76年

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  • 話し手: 吉田富男さん
  • 聞き手: 浅野奈緒子
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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出稼ぎ―家族と別々で暮らした日々

 東京の清瀬市に宿舎があるだけで、色んなところに行ったんだ。昭和35年から37年まで、北海道の旭川市で働いた。その時は田舎のほうにはもちろん電話がなかった。妻の声も聴けない。月に1回お金を送金するでしょ。その返事が妻から来るでしょ。そのたった1回。その月1回のお手紙の、子どもの話とかが楽しみだった。

 時には千葉の千倉の海岸に行って、別荘建てる仕事もしたんだ。海女さんと仲良くなって、アワビをもらったの。男2人で朝から晩まで働いて、6月から8月までの3ヶ月間で建てた。昭和43年から、新潟の苗場スキー場で13年間マンションの工事とかやってきたの。冬になって、群馬のトンネルを越えれば、4月中旬でも一面、銀世界よ。あの雪にはびっくりしたあ。4月の中旬だよ。団体生活もして、肉体の背比べだってば。お互い感情的になって言いたいことは言ってばかりでは喧嘩が絶えないもん。妻はここ(陸前高田)で家事に子育て、農業を女手一人でこなした。

 帰省できるのは年に3回で、5月の連休4日・5日間とお盆は10日間と正月。小友町に帰ってくるのが楽しみだった。小友町に帰る時は上野駅でお土産を買ってなあ。そりゃあ早く息子の顔が見たかった。帰ると、一面に田んぼが広がって、夜はカエルの鳴き声がガーガーと聞こえてきて、戻ってきた気持ちになるんだ。東京は騒音でしょう。8月になったら、暑いしなあ。小友町はシーンとして静かでさあ、のどか。17日は田束神社で祭りがあって屋台がいっぱい出てさ。地域の野菜とかさ。とうもろこしとか茹でてさ。地域で盛り上がるんだ。秋になると米が実って一面、小金色。元旦になると悪魔払い。また、息子たちが父ちゃんってなついた頃に、東京さ戻ったんだ。東京に帰るときは小友町に来るときと全く逆なんだ。そりゃあ、寂しかったあ。何年たっても辛かったな。女房には本当に苦労かけたなあ。一人で女役、男役やってたからな。具合悪くてもやらなきゃいけなかったからね。田は2反分くらいあって、一人で機械なしで刈って、稲を乾燥させて、今でも申し訳ないと思ってる。だから、出稼ぎの辛さは経験したものでなきゃ分からないな。何か月も留守して、地域の人にも迷惑かけたから、帰る度に「お世話さま」って挨拶と手土産は忘れなかったなあ。帰ってくれば、お帰りって言ってくれたな。退職して、こっちさ帰ってきて、地域に貢献できることをしたかったんだ。

 

地域への貢献―部落会長と地域行事

 平成13年の8月、66歳になってから退職した。次の年に高齢者教室の研修旅行で青葉城とかに見学に行った。声をかけられて、平成19年から22年の3年間、役員(部落会長)をやった。元旦には、ほら、悪魔払いって言って、子ども達が踊って、杯と扇子を持って、PTAの大人達が太鼓とか笛吹いて歩く。田束部落には72、3件あるんだけど、2班に分かれて元旦に踊って歩くわけよ。

 去年の元旦には日本テレビのズームインに取り上げられて、生番組だから、小学生が約20人起きて、5時に起きてリハーサル。海風が吹き上げて、強風で寒いから子どもたちが泣き出すわけだ。だけどテレビに映ったのは30秒くらいだったな。昔はアンプとか設備もないけど、最近はこっちの地域は人口減少だし、笛を吹く人も減るから、最近ではテープでさ。

 8月17日には子ども剣舞をやって。面を被って、装束(半纏)を着て、前掛けをして、扇子に杯を持って踊るんだ。その後には婦人会のメンバーの盆踊り、中学生が太鼓。30代から40代の、20名くらいの男性の青年部があれよ、おでんとか料理とか作って、露店をする。100円で皆で選んで買って、本当は赤字なわけ。

 10月10日には町民運動会。選手選考、家1軒からは1人出れるように。玉入れだとか、親子リレーとか。でも、ここ数年は親子リレーっていっても子どもがいないからさ。

 6月、8月、10月に、70軒以上で草刈作業もする。みんな高齢化してさ、神社の境内まで行くのに20分かかるけど、草刈り機担いで、境内まで上がる人がなくなってくるなあと思ってさ。

 年に1度、1月末には部落全部集まって総会がある。年間行事を決めたり、したことを報告したりしたな。それと、何か行事があるたび部落会長はお話をしなきゃいけない。だから、その文章を考えたりもしてた。今年は震災だから何にも行事はなかった。

 

手踊りの交渉、頑張ったな

 平成20年に、16年ぶりに手踊りを出したわけよ。10月4日・5日に2日間のお祭り。八幡神社と矢の浦漁港ってとこの近くの神社でさ。平成4年は20人だったのに、平成20年は小さい子どもを集めて65人。だから小友町の人はびっくりしたわけよ。臨時総会でやると決めて、最初は40人集まればいいなあって思っていたわけだ。けれど、ある家族では5人も出してくれたわけ。練習のために外で雨が降ったことも考えて、小学校・中学校を回って歩いて、校長先生に体育館を貸してもらえるよう交渉した。「1つの部落に貸すわけにはいかない」とも言われたけど、何度も足を運んでお願いしたんだ。やっとこさ、踊りの先生も呼んで、何日も練習したわけよ。私も家族に怒られ怒られ踊ったんだよ。

 だけど今回の地震で田束部落全体では12人も犠牲になって、まだ1人、見つかってないの。大震災はあれだ。涙が出る思いだよ。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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