東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

地域の人たちに育ててもらった店だから

067-top
  • 話し手: 中村勝彦さん
  • 聞き手: 吉田麻美子
  • 聞いた日: 2011年7月10日
  • 067/101
ページ:2

津波が来た

 もちろん店まで津波が来るなんて思ってなかったから、店でうろうろ、車で待とうかと考えてる時に、消防自動車が「波が来たから逃げろ」とかって騒いで来て。パッと外へ出て、海の方見たら、はじめ津波がこっちじゃなくて、山側の船が着く方に向かって入ってて。こっちには来ないなと判断したものの、あの高さだったら目線的に店の高さと一緒かなと思い直して。店まで来なくても、逃げた方がいいなと思って、もう一度外へ出たら波が来てるのが見えて。1分半までに出なきゃないなと思って、「いち、にい、さん、し」って数えながら国道を一直線に走って逃げたんです。1分かかんなかったと思うんだけど、みんなが避難してる手前で息が切れて、山側を振り向いたら、もう全然予想より高い波が家を乗っけたまんま来て。ああだめだ、店より高いなと思って。みんな居るところで立ち止まって、30秒くらいで、店も看板も波に飲まれて。頑丈な鉄の看板がものの簡単に倒れたのを見て、愕然としました。波は、ちょうどみんながいる20メーターくらい前まで、ダーッと来て止まりました。

 

津波のすぐあと

 すぐそばで、お店やってる人がいて。「お前の店もないけど、家もないぞ」とか言ってて。波が引いてってすぐ、何人かの人が泳いでいって、救助したり。波が来た一番最後の家の所に、おじいさんとおばあさんか誰かいたのか、2人くらい引きずり出されたり、そんな状況でした。でも、国道に家が乗っかって全然行ける状態じゃなくて。町の中の通路は全部瓦礫だらけで。家のある方を見たらホント俺の家もなくて。だけど、新築して6年だし、まさかあの家が流されるわけがないと信じながらもどうにか歩いて行ったら、ほんとに基礎に床がついてるだけで、丸ごと何もなくて。「道を間違ったかな」と見回して、錯覚したくらい。その時の唖然とした気持ちは忘れられませんね。一瞬で全てを飲み込んだ津波の恐ろしさ、波が引いた後の瓦礫の山、地獄を見たような感じでしたね。一気に気が抜けました。

 その日は、けっこうあっちこっちで、「助けてくれ」とか、「あっちにもいる」「こっちにもいる」と、子どもやお年寄りがいた人たちは、みんなあの瓦礫の中を結構探して歩いてる状況でした。

 次の日には、もうみんなで片付けが始まり、助け合って行動してました。消防とか、地区のそういう人たちが中心になって。町名ごとの組織がしっかりしてて、地区全体的にもまとまってました。

 

家族と安否

 津波のあった日は、お義父さんとすぐ会ったんです。お義父さんも釜石にいて、まっすぐ家へ車を走らせてたみたいで。でも、お義母さんも、俺のかみさんもどこにも見えなくて。お義母さんは、うちに避難してきた姪っ子と3人一緒にいなくなったようなことを聞いて。お義父さんは、小学校かお寺かのどっちかにいるんじゃないかってことで、確認しに行くって言って、その日は別れたんです。

 俺はとりあえず、自分の母親がいる浪板の実家の方も見に行ったんです。向こうも家が全然なくて、流されたのかなと思って、避難所に行ったらみんな無事で。その日はその避難所泊まって。お義母さんと、かみさん、2人会ってなかったけど、どっかに避難してると信じてました。

 次の日、お昼前にお義父さんに会って、2人ともいなかったと聞いて。それから2日間、朝から日が暮れるまで目一杯探しましたね。吉里吉里中歩き回りました。お義母さんの車はすぐ隣の家で潰れてて。うちのかみさんの車はなくて。もしかしたら、瓦礫の中にいるんじゃないかなと思って、うちのかみさんの同級生に頼んで、車のナンバー言って、重機も使って探してもらって、ご苦労かけたけど、それでも車もかみさんもどこにもいなくて。

 その時、かみさんは1人で釜石にいたんです。3日目に、釜石の避難所で2日目の晩に見た人がいたって聞いて。3日目には帰ってくんじゃないかと思っったけど、帰ってこないから人違いかもしれないと思いながら、車も探しながら家の周り片付けてたけど、帰ってこなくて。やっぱ最初に聞いたとおり、かみさんもお義母さんも姪っ子さんと家にいて、流されてしまったのかなぁとも思って。大槌の町は津波の後、火事になって山まで火が回ってたんだけど、4日目に、お義父さんと2人で、かみさんを見たって言ってた釜石の避難所に探しに行って、連れて帰ってきました。帰りは火事で道が通行止めになって、遠野を回って吉里吉里へ戻って。かみさんの店の従業員も、コンビニの従業員も安否を一人ひとり確認して、全員の無事を確認しました。

 

お義母さんと姪っ子さんを探す日々

 かみさんが無事だったんで、それからは、お義母さんと姪っ子さん2人、探しまくりました。姪っ子さん(お義母さんのお兄さんの娘)は、地震とかなんかあると、すぐうちへ来るんです。2人の中ではうちが避難場所になってたのかも知れません。うちの近所の人達はみんな、「ここら辺は高いから波は来ない」と思っていたし、お義母さんに「ヒナ子さん、大津波だってよ」って声かけた人もいたらしいけど、手を振って「大丈夫」って言ってたらしくて。家が一番安全と考えていたから、逃げる気がなかったのか…。家がなくなってみると、高台じゃなくて、ほとんど平らでこんなに海が近いっていうのにはびっくりしました。

 2人が2階にでも上がってれば…と思って、2階を探したんだけど。どこにも引っかかってなくて。うちの外壁とか散乱してる流れを見ると、国道を越えて海にそのまま出されたような感じで。他の家の2階が何軒か床が付いたまま引っかかってるから、うちもどっかに引っかかってれば助けられたかもしれないのにと思うと。波が押し寄せたときの恐怖や苦しかっただろうなと想像すると切ないし、くやしいし、どんな思いで亡くなったかを思うと言葉がないです。

 聞いた話によると、俺の家が持ち上がり、上後ろの家にぶつかり、あられが強く降るようなバラバラとものすごい音をたて、その音にびっくりして上後ろの住人が「助けて」と叫んだと聞いています。

 姪っ子さんも安全と思ってうちに来て流されたっていうのも、ちょっと複雑な気持ちだし。姪っ子さんの旦那さんは東京の会社のマグロ船に乗って、帰ってきたのが4月頃…。1年ぶりに帰ってきて再会もせずだから、心が痛いです。1ヶ月休んですぐ仕事に行く予定も、奥さん探すために会社も辞めました。

 とにかく一緒に、遺体の安置所とか探して歩き情報を取り、姪っ子さんの旦那さんは毎日砂浜の瓦礫の中、無我夢中で探していました。

 4月末日、吉里吉里海岸にご遺体が上がり、発見した人が「お義母さんでは」と知らせてくれて、確認に行ったけど、特徴すら全くわからない状態であったけど、身長と年齢的なものから、かみさんは迷わずDNA依頼をしました。腐敗の関係上、火葬にも立ち会い、結果を待って40日後、親子関係はないと連絡を受けて、また振り出しに戻りました。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら