東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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震災から見事立ちあがったすばらしい町って言わせたい

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  • 話し手: 蒲生哲さん
  • 聞き手: 須藤佳美
  • 聞いた日: 2011年12月11日
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自己紹介

 蒲生哲(がもうさとる)です。昭和38年3月29日生まれ、牡羊座の48歳になります。家族は84歳の父親が1人、妻1人。子どもは女2人の男2人の4人います。

 出身は陸前高田市の広田町で、生まれも、育ちも、そしてこれからも陸前高田市民です。震災以前は陸前高田市にあります、モビリアというキャンプ場で支配人をしていましたが、今はそのキャンプ場を拠点にしてNPO法人「陸前たがだ八起プロジェクト」を立ち上げています。支配人をする前は東京の方に出て18年間仕事をしていましたが、「陸前高田市にキャンプ場ができるからここで働いてみないか」と声がかかり14年前に家族連れてUターンして帰ってきました。

 

美しい砂浜と称された海、それが遊び場

 広田町の「広田」っていうのは、語源がアイヌ語のピロイタ。意味は「美しい砂浜」から来ています。小学校から帰るときは必ずその砂浜を歩いて帰ってきました。砂浜では仲間たちと、バウンドしないけれど野球をして。それからその辺から竹を取ってきて竿を作り、釣りをしながら帰ってきた。それこそ30年以上前の小学校時代は海をすっぽんぽんで泳いでいました。広田の砂浜は海水浴客で、夏はいっぱい賑わうけれど、秋になれば人もあんまり訪れない。でも9月はまだ暑い。海の季節って1、2か月遅いから、水温が一番高いのは9月から10月でヌルいからね。楽しかった。

 それから大人になって、東京で仕事をしていたときは湘南や大洗に行ってサーフィンをしていました。ずっと海と一緒に生活していたので。海見ると安心するみたいなことはありました。

 

いまだに夢の一部と思いたい

 今回津波の犠牲者の8割は松原のある町の方。モビリアのキャンプ場にある高台からは正面に見えます。そこで私と漁家の佐々木眞さんとキャンプ場のスタッフの3人で、3月11日の15時から18時まで立ち尽くしていました。高田松原って今の「奇跡の一本松」あたりに以前は続いていました。その消える松原が悲鳴あげて、全部なくなった姿とか。「やばい。300人の犠牲で済めばいいな」、「他の人たち逃げたかな」って思ってたけど、実際には2,000人余りの住人が目の前で流されました。今でも夢の一部じゃないかという気がしています。

 市街地にいた人のほとんどは松原が視界を遮って、津波が迫ってくるのが見えなかった。気が付いたときは町に波が入って、逃げ遅れて津波に飲まれていました。

 でも、海を直接見ることができる広田町や小友町(おともちょう)の人たちっていうのは、あんまり犠牲者がいないのさ。それは、私たちは保育園児の頃から津波に対する知識や訓練をずうっと学んできて、年に1回ないし2回は必ず津波避難訓練をしました。ですからおそらく私たちは、津波に対する世界でナンバーワンの経験と備えと知識を持った民だったはずです。だけども、今回多くの犠牲を出してしまったことは、「もともとある防波堤で大丈夫」、「チリ地震津波より大きな津波は来ないだろう」っていう「おごり」があったんじゃないかと。それからもう1つ、町にいた人たちは松原で海が見えてなく、波がわかんなかったから。

 実は当時「大津波警報発令、波の高さ3メートル…」でぶちっと切れてしまったんです。私たちの中で1mは養殖施設、2mだと船に被害が出る、3mだと少し波が町に入ってくると。で、町の人達は、3mの津波なら元々ある5mの防波堤があるから、町に入ってこないだろうという気持ちがあったかもしれない。普段、嵐では6mとか7mとか波が来ています。イメージ的には、風波っていうのは風呂敷でほろった、バコバコしたものと思ってください。でも、それが今回の津波は、14mのビルがどこまでもその高さのままで押されてきた感じ。

 

誰よりも海を知っているはず

 私たち海の人間っていうのは、気象庁より誰よりも引き波で津波の高さ、大きさっていうのは判断できます。今回、浜の人間がビックリして上がってきた。「見たこともない引き波だ」って。私たちは先祖代々、「明治大津波がここまで来たよ」とか、「昭和のチリ津波はここまで引いた」と記録が書き物や何点かの石碑で残されていて、今まで受け継がれてきました。でもね、人間は50年もすれば忘れてしまう。さらに今回それをはるか上回ったということで、その石碑が飲み込まれているから、残っているものも少ないです。だから「今回これだけ大きな被害が出た」って、これから私たちが子供に伝えていかなければならない。

 今、日本では、こんな凄い津波に遭ったので12.5mの高さの防波堤を造ろうという話があるけれども、今回来た津波は13.8m、高さが足りてない。それに私たち地元の人間のほとんどがいらないって言ってる。なぜか。波が見えなくて逃げ遅れたことが挙げられます。もし12.5mの防波堤を造っても、いつかそれを超える津波がいずれ来る。そしたら今度それ以上の防波堤を造るか? そんなことよりそのお金を別に使うことを考えた方がいいんじゃないって思うの。

 もう1つ、高い防波堤を造ると、波が来て防波堤の中に入ったら、お盆のように陸側が海になって水が逃げないから、逃げ遅れた人は溺れるのさ。実はこの辺の陸前高田ってところは、今回、一番先に津波が来たところです。実際地震が発生から到達まで40分あり、充分逃げられるのさ。だからその逃げられる道を確保して、逃げる訓練をしとけばいい。

 「今まで通りの2、3mの堤防でいいよ」といったのは、大方の意見なのさ。だって実際被害に遭った私たちは、やっぱ海見てないと不安です。海見て判断する。それは気象庁よりも、誰より我々は詳しいんだから。だからただ数字だけを見て、津波を経験したことのない偉い学者がおそらくそろばんはじいて、「今回13.8mの波が来たから、それに近い防波堤を造ろうね」って考えたんだろうけど。それより政府や自治体には、もっと地元の人の話を聞いて伝えて欲しいです。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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