東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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震災から見事立ちあがったすばらしい町って言わせたい

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  • 話し手: 蒲生哲さん
  • 聞き手: 須藤佳美
  • 聞いた日: 2011年12月11日
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先祖の教えは家に

 我が家は旧家で、基礎にちょっぴりヒビが入ったり、瓦が落ちたりはしていますが津波の被害は受けていません。しかし、海から家まで直線距離で1kmぐらいあっても、波は100m手前まで来ました。それでも、この辺の部落は、70軒あるうちの半分は津波に流されています。やっぱり先祖代々ここに伝わる旧家、津波の来る心配も台風の被害も全部わかったところにうちの家はあったんだね。だから先祖代々の教えがあって家が残ったのだと思います。

 ちなみに私達は地震によって倒れた家屋は1軒もありません。岩手県の北上山地、この南側は日本で一番地層が古く岩盤が固いと言われています。だから今回のようにマグニチュード9でも地震に対して怖いことは何にもないです。津波ってのはあるけどね。自然に対して何もできないので、従うだけ。所詮自然には敵わないですから。自然と仲良く付き合っていきましょうってのは私達の課題。だって津波来るってわかってんだもん。それが想像を絶する高さだったから大きな犠牲を出してしまっただけ。

 

スピリチュアルな知らせ

 私の家には稲荷神社が2つ鎮座しています。ご本尊はキツネさんなんです。つまり蒲生家を守る氏神様。でも元々この辺の地域にはほとんどキツネさんはいない地域です。私も子もこの地域で野生のキツネを見たことはありませんでした。しかし、昔から我が家では「もしも身辺に何かあった場合、白いキツネが舞い降りていろいろと助けてくれる」という言い伝えがありました。仏様とかあまり気にしなかったんだけれどね。それから、今年の3月の上旬のある夜に、私と息子2人が車に乗っていると、野生のキツネが私の前でお座りしました。それは白いキツネではなかったけれど完璧に野生のキツネ。普通野生のキツネって人を怖がって人の目の前に現れないんだけど…。

 もう1つ、震災当時、家へ帰る道は津波が貫通してキャンプ場から帰れなかったんだ。でもその時、閃いた道があった。キャンプ場は山の上にあるんだけども、小学生の頃に一度だけ学校からこの山の坂を登った記憶があったのさ。その時俺は小学校3、4年生で、5、6年のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと10人くらいで遠足の帰りだった。お兄ちゃん、お姉ちゃんが「こっちにも道があるんだ」って言って、「んじゃそこに行ってみようか」って通って帰ってきた記憶がある。それを昨年の2月に、この道って通れんのかなぁってふと思い出して、偶然に40年ぶりぐらいに通ってみたら通れるんだなぁって頭があったの。で、震災当時その道を通って自宅に帰って、家族の全員確認ができました。もし、一度確認して通ってなかったら閃かなかったかもしれない。そのくらい子どもの頃薄らぼんやりした記憶なんだよ。今はもうないんじゃないかな。

 

コミュニティは大きな武器

 3月11日から今日まで考えて、一番大切なのはコミュニティ。つまり人間ってさ、なんぼ偉くても、お金があったとしても、あの大災害の前じゃ何の役にも立ちません。3月11日に津波来て小友町を貫通しました。私のいた広田町、モビリアキャンプ場は半島のようなところなので取り残されました。みんな地元の人が山に上がってきて「どうしようか」という時に、みんなで集まって知恵を出し合いました。

 実はその時カテーテルを入れている人や透析している人がいて緊急を要する人が数名いました。これは何とかしなきゃなんねぇと。このモビリアキャンプ場の仮設住宅になってる場所が、以前は野球場が1個できる大きさの芝生の広場でした。そこでライン引きを使って10mくらいの太い丸を描いて、その中にアルファベットの“H”入れることを考えました。それから上に“SOS”って入れました。上空に通るヘリに子どもたちやみんなを呼び出して、これでヘリを10台くらい着陸させました。「ヘリ来てるな」、「じゃあ上空から助け呼ぼう」って実行したのは1人じゃ考えつかなかっただろう。みんな同じ部落や地域でどっか見たことある人たちだから「ごはん、お米どうしよっか」、「じゃあ日が上がっているうちに俺がかけあってくるよ」って。みんなで集まってやっと生き延びたってのサ。それは昔からあったここのコミュニティが大きな部分だったと思う。それは本当に非常に大きな武器になった。

 

キャンプ場支配人からNPO法人理事へ

 あの3月11日から昨日まで毎日状況が変わっていて、その時に必要な支援は、本当刻々と変わるわけね。3月11日には「おにぎりや毛布が欲しかった」とか。でも4月には何が欲しいか。「外に出かける車や夏になるから半袖が欲しい」とか。あとは「失業保険が切れる!」、「じゃ、どっからかお金欲しい」、「仕事が欲しい」と、刻々と変化します。そういうことはよく現地に入り込んでニーズを聞かなくてはいけない。そこでそれに応えるためNPO法人を立ち上げました。

 でも、私も給料をもらってたわけではないんです。まず私は3月11日まではオートキャンプ場、岩手県の県立オートキャンプ場モビリアの支配人をしていました。震災当時、気が付いたら300人の人がここに避難してきた。そこで、モビリアは避難場指定は受けてませんでしたが、私の一存で避難所にし、既成事実を作ってしまいました。6月下旬くらいまで避難所の運営をしていました。ところが私は気が付いたら3月16日、解雇されていました。でも、この百何十人の家を失った人たちをどうにかしないといけないという気持ちは凄く強くて。ですが、県や市に何とかしたいって言っても陸前高田市は市職員の3分の1の人が犠牲になったので、市もそれどころではない。県もどうしていいかわからない状況になっている。そんなかで、「何とか支援したい!」との思いから、NPO法人「陸前たがだ八起プロジェクト」を立ち上げました。今は申請中で、失業保険をもらいながらですが、ボランティアとしてこの活動をしていますが、予定では2月の上旬に、本格的にNPO法人になります。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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