東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 吉田幹夫さん
  • 聞き手: 佐々木明日香
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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 吉田幹夫(よしだみきお)と言います。64歳、昭和22年10月30日生まれ。妻と、それからあとは男の子2人います。息子だけです。27と、いや28と26かな。今ね、息子は岩手県の北上にいます。次男は同じ岩手県の紫波(しわ)という所にいます。どちらもここから2時間くらいの所です。まあ、何かって言えば来ます。今、長屋の仮設に妻と2人で住んでます。

 職業はもう無職です。以前は、教員やってました。小学校です。

 

私も妻も岩手の小学校教諭

 私は生まれはね、この町内、小友町(おともちょう)。このあたりで生まれたんです。妻は同い年です。もう今から34年前に結婚した。妻は同じ短大上がってね、それで10年ほど東京のほうで教員やってたんです。私は初めっからこっちで。

 小学校の教諭だからね、まあ全教科教えてて。担任ももちろんしたけどね。定年1年前に辞めたから、えーと、39年間やったのかな。私は短大を上がってからだから、20歳から39年間。

 息子2人は先生に・・・なりたければなればよかったんだろうけど、なりたいって言わなかったから、好きなようにさせてますけどね。大学へは行きたければやろうと思ったんだけど、もう勉強するのが嫌だって言うから、専門学校にしましたけどね。上の子は介護福祉の仕事、2番目は、生産技術の仕事をしています。

 

親父、お袋

 両親は、ここに住んでたんだけど、親父は14、5年前に亡くなったし、それから私の母親も、ここの仮設に一緒に暮らしてたんだけど、10月の17日にね、ちょっと病気で亡くなった。6月頃にね、病気を見つけてもらって、それから4ヵ月しか生きなかったね。それまでは元気だったんですけど。病院は…入院しないで、県立高田病院の訪問診療で、週に1回か2回、ここに来て診ていただいてて。今日の午前中も、その関連の買い物したり、色々いただいた人たちにお返しの品物を発送したりっていうので、大船渡の方とか、米崎町に、出かけてたんです。まあだいたい今日でその関係のことは終わりました。

 お袋は、やっぱり学校で養護教諭をずっとやってて、保健の先生ね。あと親父は、大工とかやってたんです。私が教師になったのは、お袋に薦められたって記憶もないんだけどね、自然にだろうね。

 

広い岩手を回ったんです

 私はね、初任は盛岡だったんです。短大上がってすぐ盛岡で、それから、室根村(現在の一関市)に。それから葛巻町、それから安代町(あしろちょう)に行って、それから県北の軽米町(かるまいまち)。そして岩手町に来た。最初の5年間はね。

 あとの6年目からはずっと、1つの学校に3年から、一番長くて6年いた。で、回って歩いたんです。陸前高田に出てきて、その次は、大船渡市。大船渡行って、次は教頭になって、また、一関市に行ったんです。そして、そこを3年やって、また、陸前高田まで戻ってきて。そういうふうな感じです。

 だから学校だけで言えば、えーと、何校回っただろうな、10何校まわったことになる。全部公立ね、市立とかそれからあとは町立とか、そういう所だね。

 教師時代、楽しかったですよ。教頭はクラスは持たないけど、その勤務してる学校の事情によっては、5年生の理科を受け持つとか、書道の時間を受け持つとか、そういう事は小さい学校の教頭になるとあるけど、大きい学校になるとないですね。

 中学校の先生みたいに空き時間ってまずほとんどないんです。朝行って、8時15分から始まると、もう夕方4時半頃までは全然空きがない。

 小学校は、遠足、社会科見学っていうと、5年生6年生っていう子どもたちは、盛岡に行って、県庁行ってみたり、裁判所行ってみたり、科学館あるいは博物館行ったりね。修学旅行っていうと、このあたりは、仙台、松島。あっちの方。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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