東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 吉田幹夫さん
  • 聞き手: 佐々木明日香
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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少ない子ども達

 1クラス、今はね、14、5人ってとこですよ。この辺の小友地区は1学年1クラスで小学校6学級しかない。けどね、あと5年ぐらい経つと、うんと少なくなって、2つの学年を1つにするっていう複式学級ってあるんですけど、そういう風になりそうなんです。

 だから今計画されてるのは、広田の小学校と、小友の小学校と、米崎の小学校を一緒にして、1つの学校にするって言ってて。中学校は、来年度か再来年度かに、広田、小友、米崎の中学校を1つにするって。話題に上ってきたのはこの10年前くらいからで、統合するっていうのが、まあ、3、4年前から出てきたんです。ほんとはね、この4月から、小友町の中学校と、米崎の中学校が1つになるはずだったんです。それが、津波で小友中学校も小学校も被災してしまったんです。中学校はもう全部だめ。広田中学校も、津波で水が入ったし。小学校はかろうじて、被害はなかったけどね。

 でもまあ、適正規模じゃないのかなと思うんだけどね。小さい人数で、先生の目がよく行き届いて。良い面もいっぱいあるんだけど、やっぱり子ども達の社会性を育てる為には、多い人数の中で色々切磋琢磨した方が。あるいは、子ども同士の交流があった方がいいんじゃないかな。そういう面を考えれば、それぞれ単独でやるんじゃなくて一緒になってやりたいという、まあ、教育委員会側の考えもあるし、親たちも、そういう風な考え方に変わってきてるんですよね。学校が減っちゃうのは悲しいけどね。

 

地域みんなの運動会

 運動会なんかにも少人数が影響するのね。だって、この間も、小友中学校の運動会見に行ってきましたけど、37人だかの全校生徒で運動会やってんです。

 種目は、徒競争だったり、マスゲームだったり、チャンスレースがあってみたり、綱引きとか、地域の1つのおっきなイベントっていう捉え方してるから、親も一緒になって走ったり、親子レースがあったり。

 矢作町なんかの小さい学校は地域をあげてやるんです。だから地域の人たちも行って一緒に運動会。矢作小学校も3年勤めたから見たことあるけど、昔から人数が少なかったから、子どもたちだけの種目だと1時間か2時間くらいで終わっちゃうわけ。それに、子どもたちだけの種目だと疲れちゃうでしょ。だから、大人も入って、大人の団体レース、リレーとか、踊りがあってみたりね。

 学芸会ってあるでしょ。それもPTAの人たちの劇まで出すんです。だから練習の為に矢作の方では普段から地域の人たち集まりますよ。そういう時期になると集まって、打ち合わせをして、練習して。学校に集まってやる場合もあるし、それぞれの公民館でやる場合もあるし。地域の交流も盛んになるし、顔見知りも増えるしね。

 

子どもの遊び、私の頃と今の時代

 私達の子どもの頃は、それこそ、山に行ったり、夏は海に行って泳いだり、大きくなってからは海に魚釣りに行ったり、そんなことして遊んでましたけどね。今の子はそんなことしない! 小学生頃になると、平日は学校に行って、土日はスポーツ少年団で、男の子は野球やったり、女の子はバレーボールやったりしています。子どもの人数が少ないから、全員が野球少年団で、全員がバレーボール少年団みたいになってる。大きい学校になると、そんなことしないで、塾に通うくらいで、あとは自分でスポーツやるっていう子どもも結構いるんですけど、小さい所になってくると、まあ、ほとんどって言うほどそうなの。

 だから、全然、今の子たちはね、自分で考えて工夫して遊ぶことないんですよ。みんな大人がお膳立てしたそういうものでしかやれないわけ。自然はあるからできないことないのにね。私達は、習い事なんてほとんどないから、学校から帰ったら、玄関の所にランドセル置いて遊びに行ってね。

 

3月11日

 私はね、当日は、ショッピングセンターに買物に行って、駐車場で地震に遭いました。駐車場のスペースに止めようかなってスーと入ってったら、ガタガタ揺れ始めた。駐車場のアスファルトがうねる程の地震で、それが収まってからすぐに道路に出て、急いで逃げてきたんですよ。そして、アップルロード(米崎町と小友町を繋ぐ道)を通って、自分のうちへ来たんです。必ず津波が来ると思ったからね。

 津波が来た時、うちの女房はすぐ後ろが高台になってるから、その高台に逃げたんです。私はもう車を助けなきゃならないから車に乗って逃げたんです。

 息子に連絡ってね、被災して4、5日間は2人して連絡取れない。でもまあ、なんとかかんとか、別の携帯が通じるところへ行って連絡取り合ってた。

 

顔見知りだから心強いよ

 そのあとはこのモビリア(現在仮設住宅のあるキャンプ場)に来てセンターハウスに避難した。まず、ここに避難したのは、小友町の同じ部落の同じ町内会だからみんな顔見知りで、お友達で、そういう人たちだけが避難してたの。だから心強いよ。みんなはね、もう車流された人もいるし、様々だけど。まあ、みんなモビリアまでは歩いて避難したんだよね。

 私は車が助かってあったから、お年寄りたちを乗っけてモビリアまで連れてったんです。みんな無事でね。この地区で、この地区にいて津波に遭って、亡くなった人は、1人だけかな。で、まあ知り合いなんです。それで、あとはほら、この地区から高田町内に買物に行ったり、勤め先で被災して亡くなった人もいっぱいいるんです。それ入れて9人くらい亡くなったんです。

 今まではね、ボランティアさんたちが、お年寄りを集めてセンターハウスでお茶の会なんかをに月1回くらいやってくれて。今度は、この集会所が出来たので、ここでやろうって事になってるんです。こういう所が増えた方がいいよね。

 

仮設住宅に入って

 仮設には私は6月の17日から入ったんだけど、この地域で被災した他の人たちは、7月の上旬に入ったね。私は、母の病気があったので、部屋も決まってんだから、すぐに入りますって言って入りました。主に、女房が看病してくれてたんですけどね。

 この時期寒くなってきましたけど、そんなに不便は感じないです。義援金もいただきましたよ。少しでもありがたいものですよね。テレビ、冷蔵庫、電気ポット、ガスレンジ、洗濯機、布団とかね。こたつは自分で買ったけどね。それらぜーんぶ備え付けであって、すぐに生活できた。食器まであったから。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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