東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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工場を再建し、働く場所をつくりたい

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  • 話し手: 田中信博さん
  • 聞き手: 吉野奈保子
  • 聞いた日: 2011年7月30日
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避難所では受付を担当しました

 津波の後は自宅の片付けもやらなければならなかったんですけれども、それは親父に任せて、俺は、小学校の避難所を手伝うことにしました。そっちの方が情報入ってくるし、「何かかにか、うちにも必要な情報を持ってこれるはずだから」って。親父には「いい機会だから人の顔、いっぺえ覚えろ」って言われました。

 避難所では窓口を担当しました。避難物資とか、受付する役目です。結局、小学校から下は全壊じゃないですか。だから、最初は小学校から上、4丁目の人たちがお米を分けてくれました。自衛隊の物資が入るようになったのは、何日後だったかな。2、3日経っていたんだじゃないですかね。

 小学校に来て、最初に確認したのは食糧あるか、水は出るか。水は、貯水タンクに残っている分だけはありました。火は、ガスがプロパンだったから、点いた。

 トイレは最初は外。でも、避難所は人が多いし、外はすぐにいっぱいになって、学校の水洗トイレを使うようになりました。水はプールの水。消火栓のコックひねれば、屋上のプールの水、使えるんで、それで流そうってことにした。若い連中、皆でポリタンク、担いで上がって、「このバケツを使って1杯か2杯で流してください」って。10人ぐらいで、今夜は誰が担当って、交代制で夜番もやった。そのうち、ようやく水が出るようになって、「ああ今夜から水の配り方しなくて、ゆっくり寝れる」って思いましたよ。

 

すべて自分たちの判断でやりました

 受付には、いろんな人が来ました。瓦礫を撤去して道が通れるようになると、夜、酔っ払ったような感じの変な人が来たり。「なんだおめえ、警察を呼ぶぞ」なんてこともありました。昼間は「誰々さんはいますか」って、被災者の知り合いが訪ねてくることもある。そうすると名簿を見て、その人を探して、呼んであげたりとか。「物資が来たぞ」って言われたら、それを搬入して分配する。食糧は男が中心にやりましたけど、衣料関係は女の人たちに任せました。やっぱり女物もありますから、男はやりづらいですね。

 外からのボランティアも、早い時期から来たんですけれども、ちょっと問題が起きて。夜中にボランティアの人が、確保したはずの毛布がないって騒ぎだして。「みんな寝ているのにうるさい。帰れ」ってことになった。そんなことがあって法人とか団体のボランティアは受け付けるけれど、個人のボランティアは受け入れしないことにしました。たとえば、避難所で物がなくなったときに、個人だと、誰もその人のことを知らない。うちら吉里吉里で知らないのは、その人だけだってことになると、当然、その人が怪しまれることになりますよね。何かあったとしても責任取れないし。だから「個人はごめんなさい」って。

 だから、避難所の運営は、基本的に地元でやったので、特に最初の頃は忙しかったですね。人手はあるはずなのに、人が足りない。結局、やってくれる人と、やってくれない人がいるんですね。中には、一所懸命やっているんだけど、カラ回りしている人もいたりして。避難所にいて、人を見るようになったっていうか、勉強になりました。

 吉里吉里は、全部で2,000人以上いると思いますけれど、俺のことは、みんなわかっていましたね。おまえ、どこの孫だなとかって、よく声をかけられました。「おまえは、うるせえガキだったなあ」とか、「屋上でドラム叩いていたなあ」とか。俺も、上の上の代まで言われると、わからないけれども、説明してもらうと、「ああ、そういう関係なのか」って思うところもあって。地元で人脈作るという意味でも、いい経験だったと思います。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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