東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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これからも、海で。

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  • 話し手: 堀合俊治さん
  • 聞き手: 古澤杏奈
  • 聞いた日: 2011年9月23日
  • 075/101
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アメリカへ

 北海道で7年。それから1年、アメリカ。欧米の会社に。タラ獲る仕事。船頭が、行かないかって。で、この地区から5人。それまで海外へ行ったことは、たまに燃料補給とか、それ以外はない。船造る段階から、会社で一軒家借りて、アメリカに滞在してたん、3か月ぐらい。ここをこうしてくださいって、日本語で。通訳がいだった。仕事しやすいように船を造る。

 まあ、この地区から5人行ったんだけども、買い物行っても米がさ、いっぱい並んでんのさ。どの米がおいしいのか、日本の米ないからさ、わかんないから。で、一応ちっちゃい袋、全部とりあえず買ってみて、じゃあこれにしよう、って。そんで、炊事当番を決めて。毎日ね、今日は誰、今日は誰、って。

 1か月ごとにひとりずつ交代、飛行機で、日本に帰っていく。大変なの、ね。ひとりで帰ってくんの、乗継でしょ(笑)。大移動、大変なのさね。船入って、次交代だぞって言われるとさ、…1人呼ばれてさ。さよならして、ふふっ。笑い話なんだがね。みんなで一緒に航海したのは最後だけだ。最後の航海だけ。今度の航海で切り上げで、清算だよ、って言われるときだけ。

 あっちの人(アメリカ人)が、20人乗ってたんだね、船に。肩身狭い(笑)。その、アメリカの船員って、ちょっとずるいんだね、稼がねえ。威張ってんだ。めんどくさいんだって、ねえ。アメリカの人ってのは、融通が利かないっつうかさあ(笑)。メキシコ人とかさ、ポーランド人とかは、仕事覚えたいから日本人に来るわけ。そういう人とは仲良くなれる。でもアメリカ人とは、だめさ。仕事覚える気ねえんだから。

 だけど船員は、日本人がダメだ、って言ったらもうクビなのさ。日本向けの製品だからっていうことで、権限があった。働かないから、今度終わったらいいよって、辞めさせたこともあった。仕事できなくてもさ、一生懸命やってるのはいいのさ。そういうのは、優しくね。ずるいのがいんのさ。仕事中にさ、隠れて寝てたとか、ふふ。いねえぞ、って言えば、隠れて寝てた。一生懸命さがない。ご飯食いに行けば1時間…長い(ナイフとフォークを使う真似)。こっちはおにぎり食ってる(笑)。まあ、ひとつの経験。勉強にはなんねぇんだ。思い出だね。いま行け、ったって行けねえ、ふふ。

 で、そのままここで仕事手伝って。船に乗っててもよかったんだけど、ねえ、船の方もパッとしなかったから。いま、父は引退してます。

 

海岸にいるとき、地震が来た。

 自宅も被害を受けた。まあ形が残ったからねえ、よかったんだけど。震災当日は海岸にいた。ちょうどね、ワカメの収穫時期に入って、準備してだった。13日か14日あたりが収穫すっかな、って考えてだったから。

 揺れたわけさ、うん、かなり。で、うちから電話来たわけさ。で、おじいちゃん(父親)が散歩に海に行ってんだ。大変だと思って、仕事は投げて、散歩コースを車で、揺れてる中走ってったわけさ。一周。長かったんだよ(笑)。でも、いなかったん(笑)。地震で海に落ちたかなと思ってさ、ふふふ(笑)。考えたんだけどさ、いや、ここにいられないなと思ってうちに上がってきたわけよ。したらうちにいだったのよ。ちょうど帰ってきた。

 そんでみんなで吉里吉里小学校まで避難して、歩いた。で、学校に上がった時に、もう引いてだった。引き波。渦巻いてた。で、間もなく津波が来た。

 長女は仕事で隣町の山田に行ってだった。長女はもう死んだと、あきらめたの。次の日やっぱりね、山田に仕事に行ってだった男の人たちが歩いて帰ってきた。で、山田どうだべって。山田も、あの辺がだめでねえか、って言われててさ。行くにも行けないし。で、5日目で行った。娘は避難所にいるみたいだよっていう情報が入って、夕方5時ごろその話聞いて、行ったわけさ。寒かったね、雪が降ってて。で、そこにいるだろうと思って、1個目の避難所に行ったらいなかったの。で、あの避難所どこですか、って聞いて…。道がわかんないわけさ。津波でなくて、火災あって、燃えたところもあった。そこの間を行ったわけさ。で、そこの避難所に行って、いなくて、3件目に行って。暗かったん。被災者の名簿を懐中電灯で見て、見つけて。9時ごろだったかな、みんな休んでてさ。騒がれて、懐中電灯もつけられない(笑)。ね。ちっさいこえで名前呼びながら歩いて。で、知ってる人が、ああ、いるよ、って言われて。

 息子は、3日目で帰ってきたん、釜石から。沖に船で避難したんだけど、3日目に水をしょって歩いて帰ってきた。2リットルのボトル6本ぐらいだったか。

 電気が使えなかったから、ろうそく生活。こんなに長いのは初めて。1か月も2か月も電気がねえのはちょっと、大変だね。結婚式のキャンドル灯して。それ、なくなった(笑)。暖房もないし、大変だったんだね。雪降ったのさ。油はないし、物を買いに行くにも車のガソリンがない。なんとか油かき集めてさ。電気ついたとき、嬉しかったね。

 水も大変だったのさ。井戸水を汲んだりさ。電気より、水のほうが使えたの遅かったん。3か月くらい、もっと早かったかな…。こんなにひどくなるとは思わなかった、というより、見当がつかなかった。考える余裕なかった。

 今は直して、自宅で住んでます。震災後忙しかったのさ、逆に。うちがなくなったんでば良かったんだけど、残ってしまったから、片付けが結構かかったのさ(笑)。2階は寝るだけだから何もないわけさ。ほとんど1階にあってさ。全部捨てたわけさ。家を直してる2か月ぐらい、姉のうちがちょっと上のほうの家だったから、そこにいだったんです。家族全員で世話になって。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
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