東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

ここで漁師になるのは当たり前だった

SONY DSC
  • 話し手: 田中巌さん
  • 聞き手: 清水桜子
  • 聞いた日: 2011年9月24日
  • 076/101
ページ:2

家族のことを思うようになったらだめ

 延縄漁業っていうのはね、1人は何でも出来なきゃいけない。だいたい一通りに仕事が分かるまで1年ぐらいは必要。その仕事を覚えてしまえばね、若者は体力持て余してるから面白くなってくるのさ、30前まではね。んで、結婚したら「がくっ」てくるの(笑)。

 家族ができて、家族のことを思うようになったらだめなの。その人によるだろうけど、その家族を思ってね、出航の時はやっぱりあんまり良い気持ちはしないんだよね。それで3日か4日ぐらい走って家のことを忘れないと、ノイローゼになってしまうの。それを出来ない人が、ああなると海に飛ぶ込むようになるんだね、頭がおかしくなってね。

 そういう人間何人もいるの。だから切り替えが出来る人じゃなきゃだめ。何人もいるんだよ、海に飛び込んだ人。家族を思うあまり。そして、幸い落ちた人を助けた人もいるしね。今はGPSがあるから、船が走った跡、航跡が残ってるわけだよね。そしたら、気がついた時点で反対に航跡を追っていけば良いでしょ? その時の潮の流れと風の方向が分かると、そこにぴたっと行く。それで助けた人もいます。

 そういうことがあるから、みんなお互いに気をつけてる。船長とか私たちでみんなで気をつけてるっていうか。あ、いないなってなるとすぐ探す。船内を探していないと、あ、じゃあ飛び込んだっていうことですぐ引き返す。だから、迷惑かかるのね。そういうのがあるとね、その本人を船の中に置けないでしょ? ドアに鍵をかけなきゃいけないから。いつまた行くか分かんないから。だから緊急入港で、近くの港に入るわけ。それで降ろさなきゃいけない。

 

子供と離ればなれ生活

 特に子供が生まれた時はね、気持ちを切り替えるのが大変。最初の子供のときは、妊娠してから行ったわけ。あの時は1年航海だったんだけど、帰ってきたら生まれて何ヶ月でその時に初めて会ったんだよ。それからまた行ったでしょ、その時はもう、1ヶ月ぐらいですぐに行ったから。帰ってきたら普通に歩いてるでしょ、そしたらどうしたと思うよ? うちに帰って泣かれたよ(笑)。色真っ黒でしょ、沖から来たばっかりだから。泣かれてしまって、ショックだね(笑)。2番目の子供の時は、大きい子供が分かってたから、2番目の子もすぐ分かっておったね。

 

延縄漁業からタンカーへ

 19歳から20年ぐらい遠洋漁業やって、身体を壊したの。やっぱりストレスとね、持病が出たんだね。48歳か9の頃だね。それからは、今度は内航船に乗ったの。タンカーだね。内航船っていって油を運ぶの。ターミナルのある所から、どこでも日本国内を行く。油の種類は色々。電力とかね、色んな製品を作ってる会社とか。場所によって期間が変わる。そこまで行かなきゃいけないから、1日で走るときもあれば、半日で走るときもあるし。そしてそこでまず積んだ荷物を下ろすでしょ。今度は近くの製油所回って、そこでまた積んで帰ってくるかも分かんないし、色々あるわけだ。私は年いってから乗ったから臨時職員だったの。7年ぐらいおったかな。内航船でもエンジン担当だった。それで、56、7歳ぐらいでタンカーは辞めた。

 

船員は重労働

 漁船は、年金がつくのね。55歳で年金がつくの。船員はそれだけ仕事が重労働だっちゅうのね。かなりの重労働。55まで乗るっちゅうことは、大変なの。若い人についていけないし、重労働。期間が長いし、その1日の労働時間も長いし、相当体力が必要なわけよ。だからもう、船員は55で年金をもらえるようになってるの。

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら