東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

ここで漁師になるのは当たり前だった

SONY DSC
  • 話し手: 田中巌さん
  • 聞き手: 清水桜子
  • 聞いた日: 2011年9月24日
  • 076/101
ページ:3

観光船アルバイト

 タンカー辞めてから、すぐそのまま観光船のアルバイトをしたの、釜石の観光船で。機関長はいるけどやっぱ休まなきゃいけないでしょ? その時、交代で私が臨時で行くわけ。待機員みたいな感じで、アルバイトのようなことをしてた。釜石の湾内だけだからさ。だから、1時間走ってれば帰ってくる。

 夏がシーズンで、だいたい5月の連休ぐらいから始まるのね。でも1週間に3日か4日ぐらいしか動かないんだよね。走る便も少ないしさ。4便ぐらいあるけどね。そして7月ぐらいになると時間が多くなるわけ。でも、そしたら今度は津波で船がだめになったでしょ、それでもう終わり。最後にやったのは去年の秋ぐらいまで。去年までやってるから9年ぐらいやったよね。まぁずっとじゃなくて、1ヶ月のうち数日だったけど。

 

あの日―まさかの第2波―

 今回の津波で従兄弟が1人亡くなった。その晩に分かった。従兄弟の家が流されてね、家の中にいた。津波の後は、私たちは避難所に行った。息子は宮古にいて45キロ離れてるんだけど、海の方じゃなかったら大丈夫だった。娘のほうは家が流されたけど、家族はみんな無事だった。津波が来たっていう情報を聞いて家に帰った人はみんな死んだでしょ。まさかって思った人たちもあっただろうけど、物を取りに戻った人たちがだいぶやられたからさ。

 当時は奥さんと家にいたの。自宅は高さ15メーター、20メーターまでなくてもそれぐらい高いところだから安心してた。海がすぐ下だから見えるの。1波のときはうちから見てた。1波が来てから引いたでしょ、そして引いたときにはもう2波が来てるんだもんね。ほいで、そこの部落の人たちがさ、8軒あるんだけど、「おい、なんだか次の波は大きいぞーって、逃げるか?」「おう逃げよう」ってみんなで声かけあって高台に逃げた。だからうちらの家がある周辺はね、みんな助かったの。

 

津波の音は気持ち悪かった

 高台に上がったら、もう波が目の前を通ってた。そして、うちもすぐ流されちゃった。高台から下5メーターぐらいの所を波がごーって流れてったの。家は波がぶつかったらすぐ分解したからね。すごい音だったよ。大きい滝が落ちる音。その音に周囲の山の木が折れる音。すごい音だった。気持ち悪い音。あとすごい飛沫だった。家が流されるのを見てた。津波が家を飲み込んで。だからうちは何も残んないもん、基礎しかない。着るものは何もない、何もない。残ってたのはね、車が田んぼに落ちてた。それだけ、あとは何もない。それだけ波の力がすごいんだよね。

 

【プロフィール】

話し手:田中巌さん

16歳の時に職場訓練のため鉄鋼場にて2年半働き、遠洋漁業の道へ進む。約20年間マグロの遠洋漁業に携わる。後に内航船のタンカーで油を運ぶ職に移り約10年間働く。退職後、観光船の臨時機関長としてアルバイトをする。

聞き手:清水桜子

慶應義塾大学4年

 



■ 岩手県大槌町吉里吉里

岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら