東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 佐藤徳郎さん
  • 聞き手: 福島空
  • 聞いた日: 2011年10月21日
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 名前は佐藤徳郎(さとうとくろう)。昭和26年7月18日生まれで今60歳、家族は女房と息子と次女。長女は10何年前にお嫁にいってる。俺20歳から農業始めて40年になんだ。津波が来る前はハウスでほうれん草と菊をやってたのさ。昔、仙台に農業の学校があって、そこさ2年間行って、その後栃木県野木町ってところに農業研修で2年間。だから志津川を空けたのはその4年間だけだった。今回、登米市に避難したとき、40年ぶりでこの地を去った。まさかそういうふうになるとは思わなかったよね。

 

志津川は農業が盛んだったのさ

 昔はね、農業が盛んだったのさ、30年も40年も前はね。養蚕、葉たばこ、米が志津川の農業関係の主流だったわけさ。うちでもおじいさんの代から昭和53年まで葉タバコは作ってた。当時はね、けっこう金にはなった産業だったのさ。そして海やってる人も田畑はもってるから。養殖が盛んになってきたのが、今から30年くらい前かな、それ以前は半農半漁。漁業やってる人たちも農業収入をあてにしながら、漁業やってたんだよね。それが養殖が盛んになってきて、海は海、農は農って形になってきたんだけっども。だからそれまでは面積的にも田畑はあることにはあったね。一番最初にだめになったのが養蚕、中国物に押されて生糸がダメになって、その次にダメになったのが、米。昭和40年代から減反が始まったでしょ。それだけじゃなくて50年代から価格も下がってきた。去年なんか最悪の価格だ。うちも4、5年前までは田んぼもやってたんだ。

 

小さいときから園芸が好きだったの

 私で3代目なのさ。そんなに古い農家ではなかったのさ。おふくろが野菜をひき売りに行ったり、酪農やって牛乳を売ったり、百姓だからいろんなことで日々の生活を立てていたの。米や葉タバコは年に1回の収入だから、それを基に土地を買って畑を増やしていったんだね。親父ががんばったんだな。親父が基盤をつくってくれて。

 でも俺はそのまま継ぐんでなくて、施設園芸をやりたかった。小さいときから園芸は好きで、農業の学校に行きたいっつのも園芸をやりたかったし、栃木に行ったのもきゅうりとかトマトを作りたかったから。ものすごいそっちの方に興味があって。栃木から帰ってきて、自分のビニールハウスを建てて、それでやり始めた。最初は200坪から始まって、徐々に増やしながら、流される前までは1,100坪まで。俺が親父から引き継いだのは農地を引き継いだ訳だよね。俺は、息子には施設を引き継がせたかった。

 うちはね、代々いろんな野菜は作ってたの。ただ、すべて露地的なものでしかやってなかったの。この近辺でビニールハウスを最初にやったのは俺が最初だったのかもしれない。栃木から帰って来ても周りでハウスやってるのは誰もいなかった。

 

夏のほうれん草ってのを作ってみた

 ハウスは菊とほうれん草。夏場のほうれん草がハウスでないとだめなんだ、もともとが冬の作物だから。夏に露地でやったら、ちょっと雨降って晴れると全部腐れるんだ。ほうれん草は6月から10月の10日前後までが一番の高値なのさ。俺たち昭和53年頃から作ったのかな、夏のほうれん草っての。当時誰も作る人いなかったんだから。それを仙台の市場に持ってって、ものすごい値段が付いたのさ(笑)。冬のほうれん草の何倍なんてもんじゃないよ、ほんとにびっくりしたんだから。ほうれん草って長日作物っていって、日が長くなると花が咲くよね。だから花が咲いてるのもあんのよ。芯の方さ花があっから、その花をちぎって。とにかく品数がなかったから、そういうものでさえ、売れたんだから。当時夏場のほうれん草てのはねんだから、他の地域でも。そもそも作るものとしなかったんだから、当時は。たまたま本で見たのよ。で、やってみっかつう感じで。

 

菊とトマトをやってたったんだけど

 菊は平成元年から始めて、今から14、5年ぐらい前までは菊とトマトを両方やってたったの。その時はトマト高かったんだ、単価が。でも体が続かなくて。お盆の忙しいときに、俺1週間に3回事故りそうになったんだ。で、これ以上無理はしねえ方がいんでねってことでトマトやめて、それから菊を10年ぐらい一本でやってて。

 

菊とほうれん草と、半分花屋

 でも油が100円ぐらい高くなった年があったのさ、5年くらい前に。俺の考え方は、例えば、1本60円の菊で、油代が50円だったら、1本10円つくからなんとかなっぺ、と。でも、それを遙かに上回る燃料費だよね。60円でなんとかなるかなって思ってるときに、これでは100%割に合わない。それから、これではダメだなっつうことで、夏は菊を作って、冬にほうれん草。でもどうしてもね、他の人の出来と差がありすぎたわけ。市場では、このほうれん草は一般セリにかけんのもったいないからって、予約相手ってのに回された。予約相手つうのは、セリにかけないで最初の単価を大体決めておいて、お客さんは物を見ないでやるっていう。それでうちでは、何があっても注文を受けた量は出さなければなんね。そのうち、夏場も作ってくれって。冬場だけだと、せっかくあんたさ付いたお客さんが離れるからってことで。んで、菊をある程度縮小して、畑の方を大きくしてきたんだ。半分の施設ではほうれん草、半分を菊って。

 そして3年前からはまた少し変えて、8月のお盆と9月の彼岸この2ヶ月だけ集中的に作った。あとの10ヶ月間は花を仕入れて加工して売ってたの。だから半分花屋。うちは菊もすべて自分の販売なのさ。農協販売でなくて。よくスーパーとか量販店で、三角の袋で花4、5本入ったやつあるよね、うちではあれをやってたったのさ。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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