東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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志津川 第3区区長

避難所での助け合い

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  • 話し手: 阿部宗則さん
  • 聞き手: 山本満
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 078/101
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震災、その時家族は…

 息子と嫁は仕事で、家族は自宅にいて。嫁は折立に仕事で行き戸倉中学校さ避難して、どんどん山へ逃げて助かって。その後登米市登米中学校さ行ったもんだから、みんなが違う場所。4日目には安否が確認できましたけど、その時は安心しましたよ。息子も折立に行き津波に会い津波が川を上ってくる道路を逃げて荒町まで来た、一緒に逃げてた上司が見えなくなったって。上司は車で津波にのまれてしまったんです。でもその上司は、3日目かな、夜に歩いて来たんです。無事だったんですよ。流されて車が止まったところを逃げて。山さ入ってライターで火を焚いて、杉山で一晩過ごして。次の日に歩いて山を越えて来たわけさ。みんなが「もうダメだって」言ってたもんだから、来た時は「幽霊でないかな」なんて言ってたもんで(笑)。だからねぇ、危機一髪よ。車はダメよ。助かってからは、みんなで助け合ってね。燃料を確保したり、おにぎりを運びだしたり。

 

恵まれた避難所、だからこそみんなの力に!

 いま語る公民館(避難所)は恵まれた状況だったんだけど、他は大変よ。もう1つの小学校の避難所には発電機が行ってねぇ。3日目あたりに小学校にも発電機が行った。小学校は大変だった。体育館は寒いしねぇ。公民館は建物も小さいし、わりと暖かかった。そういう意味で「ここは恵まれた避難所だから」って話をしてさ。おれも地元の区長として「がんばれ」と、皆を励ましながら避難所を眺めて、争いがねぇようにしてたな。他では物がなくなったって、そういうのが発生してた。ここではそういうのがないように、なくなってもなくなったって語んないように、「物は自己管理して下さい」って言ったわけさ。1回でも物がなくなったって喋ると、「おれが疑われたんじゃねぇか」って雰囲気が出てくるから。

 そして、おにぎりを握るのもね、自衛隊が米炊いてくれるんだけど、「自分達でもらって食べるだけじゃだめだ」と言って、避難所いる娘さんとか奥さんに「代わってください」と。そういうのに協力もらって、1人40から50個作って配布した。支援物資も多かった。特に、志津川はみんなに目をかけてもらった。米もだいぶ支援があった。

 震災後に地域の民家に避難者が、70世帯位の集落に31世帯、97人が避難してきたんですよ。当時、米は1人1キロだったので、5人いれば5キロそういう世帯に配って。その中には、「ガスや電気がないから米もらっても炊けない」って言う民家もあったんだ。でも、薪でも焚けば炊ける、そういう状況なんです。だから、「電気を待っているようではだめだよ。工夫してやれ」と。問題は、民家に避難したんじゃ、やっぱりなかなか支援ができなかったこと。

 被災直後は、物資とかそういうのを配分するのに、燃料のガソリンや灯油がなかったのが大変だった。あとは電気ね。35日間こなかったわけですから。4月の16日にようやく復旧したんですよ。でも、うちは早いほうだったんですよ。それまではソーラー電池で、外の明かりはちょっとあった。水道が復旧するのはまだまだ後だった。ガスはうちのとこはプロパンだからそれほど問題ではなかったんです。

 

復興の兆し。支援してくれたみなさんありがとう。

 7月の始めにはに公民館を空けてもらったんだ。公民館で地域の総会をできるようにしてもらって、ボランティアの人々に来てもらって、いろいろ助けてもらった。だから、ボランティアの皆さんには頭が下がる。大学のボランティアセンターのバスで、結構いろんな大学が来ました。大正大学の関連企業が来て、かつて生産されていた「オクトパス」くんっていうタコの文鎮作ってもらってね。タコが赤だけだったんだけど、ゴールドとか黒も作ってもらって。それを作る型枠が全部流されちゃったから、また作ってくれてね。

 物資も余ってきて、毎週体育館でバザーやったりしましたよ。倉庫片付けなくてはならないから。そうやって公民館が中心となって、音頭を取っていろいろ工夫しました。

 それでも、よく乗り越えてきたと思いましたよね。やっぱり人の繋がりだとかで助け合いました。重機持ってる人がまずは道路作って、でも燃料がない。そしたら、トラック持ってる人がトラックの中の燃料を持ってくるわけさ。他にも電気が復旧するまでは、防災無線から声が聞けると癒しにもなると思って、モーニング・コールを流したりね。電気が復旧したら、テレビも見れるしもういいかな、と思ってやめたんだけど。

 

今後の課題

 高台ってのが当然なくてはなんない。まだ町の人にも方針が発表されてないわけだけども、中途半端にここまでは津波が来ないっていうのもダメさ。高台に逃げなくちゃいけない。まだまだ土地の値段が高いから、震災以降もっと高くなった。町営住宅でもエリア住宅でも作ったらいいじゃないかな。登米や佐沼に職場があるから、みんなここ、志津川まで住みに来ねえもんな。

 

【プロフィール】

話し手:阿部宗則さん

農家に生まれ、農業の専門学校を出た後、食糧事務所にて定年まで40年間勤務。志津川の地区では第3地区の地区長を務め、地区の広報や情報伝達のため、地域住民を日頃から訪問しコミュニケーションを取っている。

聞き手:山本満

慶應義塾大学環境情報学部3年

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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