東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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震災での辛さと、色んな人に対する感謝の気持ち

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  • 話し手: 千田ユリ子さん
  • 聞き手: 中井咲耶
  • 聞いた日: 2011年12月11日
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震災後―少ない食べ物を孫と分けて食べた

 3月11日、雪降る中、俺と孫3人で、物資でもらった毛布をくるんで、頭からがぼっと被せて、3人の孫を私が抱いたの、1週間。赤十字の毛布あるでしょ。それ10枚、近所のじいちゃんが、「ばあさん、孫とかわいそうだから、ほれ」って、箱でもらったの。そいつほぐして、頭からがっぽり被って、囲まって、昔の炬燵みたいにして。昔の子達みたいに足さ、毛布くるんで。

 ほんで、食べ物もその頃は来なかったからね。1週間以上経ってから、自衛隊が持って来たった。んでも、最初はおにぎり1つずつ、配給なったです。パン配給なったり。今の食べ盛りだと、パン1つで間に合わんって。孫が高校生と小学6年生と小学3年生だから、食べ物が間に合わないでしょ、喧嘩するようになるんだ。分配してやらねばねえもの、おにぎりとパン1つ。あと、ゆで卵。食べても、食べても腹減る。育ち盛りの子供達だもん。「これ食べろ、食べろ。ばあちゃんは後でいいから。あんたとは食べて、生きていかねばねえんだから。パパさ手伝わねばねえんだから、食べろ、食べろ」って。ババアのアドバイス、大きかったべ。

 ほんで、鳥がヒヨコ扱うようだった。口がパクパクって、孫だよ。毛布くるんで、そして、くるまったとこさ、「ばあちゃん、おやつ、ほら」って。1つのパン、3つに分けて食べた時もあったぞ。1人が食べたいって言えば、あとの2人も食べたいって言えや、1つを3つに割いて。おにぎり1つあったらば、3人いたらば、3つに分けて。飴っこが1つあったらば、包丁で叩いて、そして口さ入れんの。その頃は店も無いんだもの。今だから店出てたけ、だんだん日が経つに従って、食べ物も来たども。その頃は、1週間、10日ばかりは来ないって。来たけども、大量でなかった。

 

震災後の通帳や家の対応

 津波来た時は、大事な物取ってるうちに流されたかもしれない。ほんでもう、大事な年金の通帳とかは、私しまっておいたのさ。それが潮水入って、泥入って。ほんで、通帳は仮設で洗えねえから、ティッシュで拭いて、そして日当たりさ、干した。そして、郵便局さ行って、解約してもらったの。

 そして、家では中のタンスまで泥水入ったんだから。洗濯機だの、冷蔵庫だの、テレビだの。そして、置いておけば置くほど、白くなって。臭えから、全部出して。そして、大工さん頼んで、天井裏から床板から、全部はがして。そして、スコップでごみ取りして。泥水だ。なんぼ水かかったべなあ。そして、家の下さ、田んぼから取った米の袋、被さってたったの。それを引っ張って。そして、外さしばらく置いたの。今度は鼠だの雀が食って、袋が破れて。そしてボイラーも潮水入れば使えねえの、錆びてしまうから。その場で外せば良かったんだども、3カ月も4カ月も置いたから、ボイラーね、錆びてしまったの。使えねえのよ。だからあとは全部、水道屋さんが呼ばって、全部新しく取り替えて。電気から何から。大金掛かったべ。家建てるぐらい掛かったんでね。風呂場から、手洗い場から。しょうがないな。

 

お世話になった、警察やボランティアの人達との思い出、思い

 震災後は、自衛隊だの、ボランティアだの、警察とか来て。うちさ寄って、話を語ったり、お茶っこ飲ませたり。それが一番の楽しみだなあと思ったった。警察とか来て、腰かけていくんですよ。この間まで来たけんどもね。おかげ様で、ボランティアの有難さ、一番分かった。

 7月の30日に市の水道の水が来てから、8月の1日から6日まで、ボランティア頼んだの。水が来ないば、うちを拭けないべ。障子から柱から拭かないと。1週間通ったもの。「あんた達の親だと、子供だと思ってっからよお」って。そして、お世話になりした。「おばあちゃん、漬物美味しいから、来年も来たらば、食べさせろよ」って。「漬物漬けておくから、俺も忘れねえからよお」って。すいとん作ってかせた(食べさせた)の。大きな鍋さ。「ばあちゃん、これ初めてだ」って、写真撮ったっけ。美味しいったっけ。「おばあちゃんの愛情が浮かぶ」って。看護婦の2年生、そして看護婦の先生も来て。夏休みさ入ってから、大学生の先生も来たった。そして、写真撮ったりしていった。「お正月にも来いや。待ってっからよお」って言ったっけ。1週間も通うとな、我が子のようだべっちゃ。あと、車さ乗って、姿見えなくなるまでバイバイしてやった。「ばあちゃーん、元気でねえ」って。「おう、元気で頑張れよ」って。まず、皆さんのおかげ様だ。全国の人達のお世話になった。何だかんだ言って、物資は来たべしさ。本当に、死ぬまで忘れられないね。

 あと、千葉の警察、2台来た時もあったね。うちが川のそばだから、死体が上がってっかと思って、見に来たんだよ。そして、「何にも無いけんども、お茶と漬物でもあるから、どうぞ」って言ったけ。最後には、「おばあちゃん、元気でね」って、握手していった。本当に、優しい警察だなあと思ったったの。1日に何人来るか分かんなかった。大層お巡りさんが来たね。栃木だの、千葉だの、埼玉だの、岐阜だの。だからまず、元気で、お互いにね、「どうも、御苦労さんです」って言ったっけ。まず、無かったねえ、あんだけお世話になって。忘れられない。

 

【プロフィール】

話し手:千田ユリ子さん

昭和15年7月8日、小友町で生まれる。浜で昆布やワカメを獲っていたが、震災後は津波により船が流される等の影響で、辞めざるを得なくなった。現在は息子夫婦と孫3人の6人で生活している。

聞き手:中井咲耶

玉川大学文学部比較文化学科4年

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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