東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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お茶っこの会をひらく、志津川唯一のかばん屋さん

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  • 話し手: 菅原幸子さん
  • 聞き手: 澁澤陽芽
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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姉弟

 避難して東京にいた3カ月間は、弟が私を母親のような感覚で見てくれたの。1週間私のそばに寝てくれたのよ。私の声が母親に似てるんだって。

 弟は私が行く1カ月くらい前の夜にね、少し怪我したの。お風呂から上がって、だーんと玄関で転んだらしいの。私が行ったころ、頭が痛くなったらしくて、目つきもなんかとろんとしてるし、変だからお医者さんに診てもらえって言ったの。そしたらね、すぐ手術したの。私が行くと間もなくだよ。そして、10日間入院したんです。弟が「ほんとはね、ぼくが姉を面倒見なきゃいけないのに、逆になった」って言うわけよ。「母ちゃんだからいいんだ」って言ってあげるの。私の「痛いかぁ」って言う声がね、母親に似てるんだって。

 こないだの20日に私を「母ちゃん」って呼ぶ、3番目の弟が来たのよ。その3番目の弟の同級生が8人津波で流されたの。それで来年の3月11日に供養してあげたいということで、そういう相談に来たのね。役員のかたがたが来てどういう会議になったかはわからないけど、寄ってってくれたの。「母ちゃん、元気かぁ?」とかって。来てくれたの。うれしかったね。

 

車椅子のおばあちゃん―観洋さんでの生活

 観洋さん(ホテル観洋)にもけっこう避難してたね。いろいろ知らない方もずいぶんいらっしゃいました。9階の6人部屋に5人。ご夫婦のかたが1組と私とあと車椅子のおばあちゃんと娘さん。私も明るい性格だから暗くしたくないけど、他人同士だからある程度遠慮っていうのはあるからね、なんか精神的なものだかなんだかわかんないけど、下痢が続いてねぇ。

 ご夫婦のかたは仮設に行って、残ったのはおばあちゃんと娘さんと私と、6人部屋に3人になったの。おばあちゃんは85歳でいろんな話をした。おばあちゃんも志津川の人だから話が合うわけ。娘さんはがれき掃除で昼間はいないの。おばあちゃんがどこかに行くっていうと私が車いす押して、エレベータで下に行ったり。踊りがある、歌があるっていうと連れて行って見せたり。熊本から支援に来ていた方々も毎日お茶っこ会に参加して、おばあちゃんを車いすに乗せてたね。そして、おばあちゃんに宮城の代表的な歌を歌ってもらったりして。そういう風におばあちゃんと仲良くしてたの。8月18日に沼田仮設住宅に入ってから会ってない。会いたいのほんとはね。でも会えないの。

 

かばん専門店と志津川

 嫁に行くちょっと前に、うちのすぐ裏のお裁縫の先生のところで和裁を習って、足踏みミシンを買ってもらって。ミシンで弟のユニフォームを作ってくれたの(あげたの)。チリ津波で流されちゃって、今もらったミシンが3代目。東京の弟の奥さんのものを糸から何やら一式もらったの。おばあちゃんやらお部屋の方に、巾着やらなにやら作ってあげて。私の趣味っていうか生きがいというか。好きだからね。

 かばん屋のころも、かばんに少し故障があると主人が修理したりしてるの見てたからね。昭和35年の津波だから、昭和35、36年だね。かばん屋をはじめてすぐにチリ津波。若いからね、がんばった。その頃はね、志津川にかばん専門店って1軒だけだったの。八百屋さん、洋品屋さん、ガス屋さん、近くにお店が並んでね。志津川の中心、商店街だったの。バスだけだったのが、息子が高校1年あたりに気仙沼線が開通した。仙台やらどこやらにお買い物にみんな行くようになって、だんだん志津川も下火になってね。むかしからのお客さんだけがうちで買ってったの。

 今はがれきのところ。今は三陸鉄道も線路がぐにゃっとなっちゃって、復旧の見通しないんじゃない? 頂点まで生活のレベルが上がったから、がくんと下がった感じね。お金さえあれば何でも買える時代じゃない。本当に私から見ると頂点に見えたね。

 

これから

 年は忘れて若々しく。20歳の孫にすすめられてジーパンも履くし。東京にいたときスニーカーを買ったの。若くしたいから、「派手なのください」って言ったの。4歳の孫に「仮面ライダーみたいな靴だ!」って言われた。「かっこいいかぁ?」「かっこいいよ」ってね。4歳の孫を追っかけて走らなきゃいけないから。この靴を履かないと遊べないの。あの孫がいなかったらそれなりの年でひょんとしてると思うの。孫のおかげで若返りが始まったの。「ばぁば」って来るからね。孫が来るとしゃきっとなるわけ。重機が好きで、普通の乗用車とか見ても興味ない。大きくなったら重機を動かす運転手になりたいって夢があるんだって。「それには汚い服着てヘルメットかぶんなきゃいけないんだよ」って。それが夢なんだ。

 もといた場所にはもう住めないからね。これから山のほうに息子たちと住もうかねって。でも、できることは自分でやってみようと。仮設でも新しいお友だちできたから。大いにお茶っこの会に参加しておしゃべりしてこようかな。今は孫もいるから命ある限り、まえを向いて歩こうと思って。

 

【プロフィール】

話し手:菅原幸子さん

南三陸町で育ち、静岡県の機織り工場で働き、南三陸町へ戻り結婚。ご主人とふたりで南三陸町の商店街でかばん専門店を60年近く開いていた。7年前からはひとりで店番の傍ら、地域のかたとお茶っこの会を開いている。

聞き手:澁澤陽芽

慶應義塾大学環境情報学部2年

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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