東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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郷土芸能は部落の財産

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  • 話し手: 千田信男さん
  • 聞き手: 秋山真衣
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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 名前は千田信男(ちだのぶお)と言います。昭和24年11月13日生まれ、62歳。3人兄弟だったから、上が姉2人。4つずつ離れてるねぇ。上のお姉さん70で次が66。男と女だから、私たちが小さい時は、隣近所が1個上だったり1個下だったり、同じような年の子がいっぱいいたから、男と女が遊ぶっつーことはあんまりなかったね。

 今は家内と住んでる。子供は3人。1番上が女で35歳。中が男、31か。3人目が女で26。1番上の娘は今は名古屋にいるけど、去年結婚して、今年の5月に生まれた、孫。毎日写真を送ってくる。それが楽しみ。まだ生まれて7ヶ月。男が今仕事で静岡にいる。自衛隊なんだけど。去年の8月まで宮城県にいて、9月から静岡に転勤になった。仕事の内容がなかなか同じのがないんで。下の娘は仙台にいて、9月から神奈川さ転勤になって。だからこっちのほうには誰もいなくなっちゃった。家内とは土曜日曜の必ずどっちかは一緒に買い物に行ったり出かけたりはする。私も仕事してるし、家内も仕事してるから。年に1回くらいは温泉さ行くんだよね。1泊で。娘や息子たちが行ってこいって旅行券みたいなのくれたりするから。仕事は高校卒業してからJA農協にいた。退職したんだけど、手伝ってくれないかってことで、今そっちのほうに、臨時で。働かせてもらってるから、有難い。

 

団塊の世代―賑やかな子供時代―

 小さい頃の遊びは男だからチャンバラごっこ。あとは木登り。木の上にやぐら組んでさ、隠れ家みたいにして遊んだ。ここは被災前はだいたい全部で70戸くらいあったけど、小さい集落が5つある。だからその中に、ちょっと離れてたけど7、8件くらい。だから上にもいるし下にもいるし。遊びもやってるし、ケンカはするし。加減知らねぇから怪我させたり。そうすっとほら、親とかじいちゃんばあちゃんたちが謝りに。僕たちの年代は賑やかだったね。今の子供たち少ないからねぇ、小学生はうちの部落に20人くらいはいるんだけど、町内全体が少なくなってきて。俺たちの時なんかもう100人近くいた。だって昭和24年生まれっつーのは多いんだよ。20年に戦争終わったでしょ、太平洋戦争が。21、22、23、24ってワーって生まれたんだよ。団塊の世代だよ。だって今は子供がうちにいるの1人か2人でしょ。俺らの時代なんか1軒に5人か6人っていうのが普通だったんだから。うちは3人で少ないほうだけど。4人5人いるっつうのは当たり前だったの。結局大きいのが小さいのを面倒みるっつう。喧嘩をしつつな。

 

高ゲタを履いて

 中学は50年も前の話だからねぇ。俺がやったのは、卓球と陸上とか。マラソンはいつも上位のほうだったから。50年前ズック買って履くっちゅうのはないんだもん。長靴か短靴。走りづらいけどもねぇ。だから中学校の後半になってからズック靴。だって俺たちは草履とかゲタ履いて行ってた。冬場ももう冷たいとかなんとかっつう感覚ねぇから。だから3年生になると、ちょっと格好のいい奴らは足の高い下駄。高ゲタ履いて学ラン来て。鞄も長いやつを垂らして、肩から提げて。ズック靴のあの生地で作ったような。普通はたすきがけみたいな感じで、それをこう肩だけにかけて。そんな格好で歩いた。3年生の時はもうずっと、靴履いて歩いたことはない。下駄ばっかり。みんなっつうわけじゃないんだけど。大なり小なり女の人が履くような下駄もあったんだよね。そういうの好んで履く奴もいれば、俺は高いやつを履いてた、冬でも。雪はね、今はねぇ、ほとんど積もらなくなったけども、俺たち子供の時は結構積もった。だから、石なんかをぶつけて、雪を落として。あと下駄履いてサッカーした、雪の上で。高校に行ってからは下駄はだめになったけども。ま、楽しかったといえば、楽しかったんだね。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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