東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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  • 話し手: 佐々木眞さん
  • 聞き手: 猪股明希
  • 聞いた日: 2011年12月11日
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海の人間

 名前は佐々木眞(ささきまこと)です。昭和50年12月13日生まれで今35歳、明後日36歳になります。職業は自営業で漁業をやってます。家族は妻と息子2人。お兄ちゃんは5歳、弟は3歳です。3歳の下の子はママっこです。教育次第だと思いますけどね、でもやっぱりパパ勝てないですよ、ママ強いです。今の自宅はこのモビリアから2軒下がった一戸建てのかみさんの家なんです。同じ田束(たつがね)の部落内に俺が嫁いだんですよ。海の近くにある俺の実家は被災しました。俺の実家の人たちは今モビリアの仮設にいます。

 小学校くらいの時はね、うちのおやじが今の俺のかみさんを俺の兄貴の嫁としてもらうために許嫁にしようとしてたんです。でも俺がもらわれちゃったんですね。それでも今のかみさんじゃなきゃ俺を婿に出さなかったと思いますけどね、うちのおやじは。彼女なら仕方ないなあって感じでしたね。うちには土地があって、俺は違う所に家を建てて別家になる予定ではいたので。とは言っても同じ地区なんでね、離れたところに行くわけではなかったですし。かみさんのことも昔から知ってますし、ここら辺はみんな知り合い同士が多いですからね。

 仕事では今、牡蠣のいかだづくりの作業をしてます。漁業する前は5年くらい東京にいたんです。普通にサラリーマンやってました。かみさんも11年くらいいました。俺の場合は親父が元々漁業やってて、埼玉の方に出てた兄貴がこっちに帰ってきたので、俺も帰ってじゃあちょっと牡蠣の規模拡大してやろうかって思ったんでね。帰ってきたのは、まあ収入もそうですけど、サラリーマンみたいな仕事と違ってこの仕事は自分がやった見返りが、もので返って来るんで。ものって、よかったり、手のかけ方が今年足りなかったって思うことがあったりするとその結果が正直に出るんで、やっぱりやりがいがありますよね。

 我々生産者の中では少ないんですが、俺は潜水士の資格も持ってます。素潜りやスキューバダイビングとかと違って潜水士は国家資格が必要なんですよ。資格を取ったのは漁業始めてからですが、元々は小学校のときから素潜りはしてていろんなもの採ってました。昔はアワビ採ったりホタテ採ったりってのはそんなに厳しくなかったですし、それに小学生が採る分ですからそんな大した量じゃないんで。あそこに行けばアワビがあって、そこに行けばホタテだよ、みたいなのは1こ上の先輩から代々受け継いでたので。夏休みになるとみんなで行って、採ってバーべキューみたいなことしてました。今ではあんま海水浴したり、潜ったりとかするような活発な子は少ないかな。俺はそうやって外で遊んでほしいんだけどね。

 

みんな知り合い小友町

 ここではみんな地域の単位として「部落」っていう言葉を使うんですよ。大人も子どもたちも使ってます。ちょうど通常であれば来年だったんですが、その部落単位で、4年に1回なんですけど、この地域では5年祭っていう行事があります。町の中にも小さい集落があって、お祭りはその部落ごとに出し物出しあうんです。小友町っていう陸前高田市の中の1つの町をあげてやるんです。大きくはないですが、その8くらいある部落で10月10日の体育の日に、町民運動会も対抗でやるんですよ。本当は10年くらい前まで地域性を生かしたお祭りで、この海に面した小友町では船を使った海上七夕っていうのをやってたんです。船に10メートルくらいの竹の棒を飾り付けて、それに七夕で使う短冊を飾り付けて会場を練り歩くみたいな。そのお祭りとか年1回の町民運動会とかで必ず顔が合いますし、200か300くらいの人口ですから、だいたいお互いに顔は知ってますよ、みなさん。

 だから全国どこでもお酒飲むでしょうけど、ここだと代行頼んでもタクシー頼んでもだいたい顔見知りなんで、家まで届けてくれるみたいな感じです。運転手さんも顔見知りだから財布からお金も取ってちゃんと降ろしてくれる。お互い信用してるから。悪いことをできない地域なんですね。そういう意味ではいいのかなあと思います。

 

流れてしまった象徴と残った人のつながり

 ここの地元に酒蔵さんの酔仙てとこがあったんですが、やっぱり被災してしまいました。酔仙はやっぱり高田の象徴っていうか、昔からの古い酒蔵さんでしたし、海から比較的遠い奥の方にあったんですよ。ここモビリアは停電してたんで私達はわかんなかったんですけど、酔仙が流れた映像がテレビに出たらしいんです。地方に散らばってる高田出身の方々で、ああ、高田が終わりなんだなって思った人は多いらしいですね。

 田束部落って73戸あるんですけど、その半分、約30戸くらいが被災したんですよ。その人達がここモビリアに避難してきてました。そしたら震災が起きたその日の夕方、被災を免れた方々が、おにぎりとか温かい物持ってきてくださったんです。ここらでは仲間意識が強いんだよね。だから震災が起きてすぐも、食料とか本当に助けられたんです。ここでは温かい物を食べれたんで本当によかった。下の俺の実家の方は漁業の方がメインなんですが、上の方は農家なんで、米を作ったりして米はストックしてあったんですよ。それを出し合ってもらって。地区内全部やられて被災しちゃうとそういうこともないでしょうね。仲間意識が強いおかげで炊き出しを3食、朝、昼、晩と持ってきてくれたのはありがたかったですよ。ここモビリアは食べるものがあったってことはよかったけど、他の所はそうはいかなかったみたいですからね。でも反面、この地域が全部被災して、他の部落から援助をしてもらわなければいけない状況だったらすぐには食べ物をもらえなかったでしょうね。何日か経ってからやりとりあって、被災してない地域があるならお願いしますよっていうことをやればあるかもしれないですけど、基本的にその日からってのはなかったですね。そしたらあとは本当に、自衛隊さんだったり支援して下さる方々を待ってるしかなかったのかな。モビリアではなくて、市内で一番大きかった中学校の体育館でも、1,000人とか2,000人とか被災者があつまっていたらしいんですけど、おにぎりの数が足りなくて、1個のおにぎりを3人とか4人で分けたとかね。その点ここは1人で2、3個食べれたんで。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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