東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

前を向く、それを支えていく

SONY DSC
  • 話し手: 佐々木眞さん
  • 聞き手: 猪股明希
  • 聞いた日: 2011年12月11日
  • 082/101
ページ:2

モビリアに住む人々を支えるために

 漁業と同時並行して、今申請中なんだけどNPOの一応、代表理事をやらせてもらっています。会社員の人であろうが誰だろうが、NPOさんは関係なく入れますから。NPOを立ち上げたきっかけは、まず、元々ここでキャンプをしてるお客さんに対して、例えばゴールデンウィークとか、秋の連休のときにとか牡蠣を販売するイベントを通して、モビリアの支配人だった蒲生さんとずっと付き合いがあったことです。地震が発生して津波が来て、僕はその日消防団で動いていたんですけど、避難所がここになっちゃってうちも消防車が被災するといけないので、高台に、このモビリアに上げたんですよ。消防団は職業じゃありませんよ。任意でボランティアです。結構田舎って何でもやんなきゃいけないんですよ。そして、震災当日は300人くらい避難者が来たかな、その人達のお世話をしながら月日が経っていって、じゃあこれからどうするってなった時に、仮設が建ったのでみんなを支援するためにこういう団体を立ち上げようかっていうことになったんです。

 モビリアに避難してた100人くらいの人たちは、6月くらいには移ってお盆くらいにやっと落ち着きました。本当に最近です。元々、モビリアへの避難者としては大したことなかったんですよ。市内でもそんなに多い避難所ではなかったんですけど、今は一番多い仮設住宅地になりました。それは陸前高田のオートキャンプ場モビリアって言うこの場所が、東北でも2つか3つしかない5つ星のキャンプ場でメジャーだったからなんです。例えば自分が物資配りたくても、どこどこ会館とかどこどこ公民館ていう避難所って言われたところで分かんないじゃないですか。そういう点、モビリアってのは来やすかった。ネットで見てもここの紹介ページは出るので来やすい。だからここの人たちはほんと震災当日からいろんな人と交流して、震災のこととかさまざまなことを誰かに話す機会はある程度ありました。へこんでる暇がなくお客さんが来るんで、忙しい思いはしたかもしれませんけど、閉鎖的じゃなくて、オープンでやって交流ができたんですね。

 支援とかで他からもいろんな人が来ますけど、そうでなくとも陸前高田市でこのモビリアだけはいろんな人が混ざって暮らしています。神戸の仮設でいろんな人が混ざってしまいコミュニティが作れなかったってことがあったみたいで、中越の地震のときコミュニティを大事にしたんですけど、今回はそれよりももっと大事にすることが基本になってるんです。ですから、だいたい市内の各地も仮設は結構地区ごとに入ってます。それは行政の方でやったし、マニュアルができてたんでしょうから。ただここのモビリアの場合、他の所の長屋は早かったんですが、一戸建てを造るということもあって、できるのも遅かったんですよ。最後に抽選外れてた人とか、環境がいやだとか、そういうのがいろいろあって断っちゃうと仮設に入れるのが一番最後なんですよ。そういう人たちがこのモビリアに来てるんでね。でもここは環境最高ですよ。高田市内でも雪は多いですけど、ここは高台なんで1センチ2センチ降ってるくらい。市街地から来た人達にとっては寒いと思うんですけどね。

 ここは基本的に行政のもので、市の土地で建物が県、仮設も県のものなんですよ。管理が陸前高田市にあった第三セクターっていう市の出資を受けてるものがあって、いままではそこで運営をしてたんです。だからここに仮設を増やしやすかったって言うのはあったんです。それに基本的に仮設って学校の校庭に建ったり、公民館の土地に建ったりっていうのが多いじゃないですか。ここでも小中学校で被災してないグラウンドには建ってるんですけど、でもやっぱり学校、教育って大事なんですよ。俺らも含め、子どもにとって運動できないってことはプラスではないと思うんで。環境的には学校のグラウンドに入った人たちは早く出ていかなきゃいけないと思う。仕方ないと思うね。そういう意味でここは県と市の土地の公の機関なんで、たぶん陸前高田市では対応が最後の方だろうなって。コミュニティが作りづらいですけど一戸建てが建っててプライバシーが守れますし。こういう所で公営住宅を建ててけばいいなって感じなんですがね。

 今はここに住んでる方々の支援をしていますが、基本最後には自立が目標ですね。まあ仮設に移った時点で自立だけど、あくまでまだ仮設なので。自分で家を建てたり、これから公営住宅が建つと思うんだけど、そこに入ったりね。とは言っても、各家の立て直しはほんと数年先だよね。高田の場合は平らな土地がないので、例えば山を崩して住宅地を建てるか、土盛りをして家を建てるかだと思うので、2年3年ではいかないんじゃないかなあと。

 

海はギャンブル

 やっぱり収入が漁業の方が多いので、ここの地域では農業で生計立ててる人は少ないですね。まあ今回のように津波を受けることもあるので、海はギャンブルだと思うんですが。ただ漁業人口は減りましたよね。年配の方々はこれを機会に辞めるのは仕方がないですし、自然だと思うんですけど、働き盛りの40代50代が結構辞めたので。大学生のお子さんとか高校生のお子さんとか、お金のかかる一番大変な時に、牡蠣っていうのは2年後、3年後の収入なので、そこまで待ってられなくて。あと、海やる人たちはみんな億単位の投資なんでね。船も数千万して、それからいかだとか含めて億くらい投資しなきゃいけないので。50代で億投資するとなったら、例えば家がない人だったらもっと大変なことになるんだよね。震災前はおれたちがやってる牡蠣のいかだは元々800台で、生産者はここに30人いたんですよ。今は3分の1の10人くらいになっちゃって。でもその10人、やる気のある人たちなんで、600台まで拡大しました。こういう震災は受けたんですけど、まあ、今やれるチャンスってね、それぞれの人が拡大できるチャンスなんで。

 それに漁師辞めたからって土地からみんな離れたわけでもないです。仕事は瓦礫撤去のダンプカーの運転手さんだったり、重機の運転手さんだったり、結構仕事はあるんで。意外に最初から海の人間てのは少なくて、海の人っていろんなとこから上がってる。俺みたいにサラリーマンだったり、大工さんだったりダンプの運転手だったり、いろんな仕事から上がってきた人達が多いんです。後継者、後継者って言われるけど、この辺は結構若い人がいるんじゃないですかね、収入が大きいんで。朝早くて大変な仕事で、収入がサラリーマンとあんまり変わらないんだったら、例えば8時から5時で働いてた方が安定した収入があっていいや、ってなってたぶん誰も来ないと思いますよ。ただね、津波とか震災受けるとね、リスクはすごいですけど。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら