東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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部落で唯一のお茶畑を守っている

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  • 話し手: 藤原和子さん
  • 聞き手: 川口圭大
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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自己紹介

 私は藤原和子(ふじわらかずこ)です。生年月日は昭和19年8月1日です。67歳になりました。家族は旦那さんと子ども、娘と息子がいますけど、東京とか仙台とかにいます。おじいさんとおばあさんがいたけど、どっちも亡くなっちゃって、今ここにいる家族は69歳の旦那さんと2人だげ。ここ高田市の小友町ってところは出稼ぎ者が多いし、大工さんが多かったんですよ。この辺の大工さんは気仙大工って言って、腕がいい人がそろっでだの。隣もそうだったしその隣もそうだったんです。出稼ぎだから1年中家から出っぱなしで、お盆、正月と5月にしか帰ってこないんですよ。だから普段は一人なんです。津波のときも一人だったんですよ。

 私の生まれたところは、一関と高田市の間ぐらいにある矢作町ってところなんです。矢作町は山の方だったがら、山の仕事があっで、小友町(おともちょう)の人達みたいに出稼ぎ者は少ながったね。実家は農家だったんですよ。菜種を植えて油を採ったり、大豆を植えて味噌や醤油を作ってたかな。今と違って家族が食べるものを作ってたね。余れば売るけど。

 学生時代はそれを手伝ったり、家の手伝いをしていたんです。クラブとか部活に入らなかったな。興味もなかったな。朝起きたらお掃除して学校に行く。冬休みには炭をうちで焼いていたので、それを入れるカヤを採ってきて、わらじを編むように編む「縄ない」をした。おやつには干し柿とサツマイモとかね。それがおやつだって、それで「縄ない」をする。今日はこれぐらいとかノルマをもらってやっていたね。夏は学校で農繁休業っていうのがあって、桑の葉採りや養蚕の手伝いをするわけ。

 子どもの頃はひたすら働かせられてたね。蚕の世話とか牛乳配達をしていました。みんな働いていたから辛いとか感じなかったよ。

 

デザインの腕を買われ、仕立てた服が雑誌に掲載された

 仕事は今は終わり。63歳まで県立高田病院で給食のおばちゃんをしていました。高田市内にあまり仕事がないので。お魚獲れるので、お魚工場とかあるんですけど、病院で働かせてもらいました。きっがけはね、一番初めは違う会社に働いてだったんですけど。おじいさんが脳梗塞になったもんで、それを見なきゃないので辞めたんですよ。会社を休んだらダメな会社だったんで、そこで切られてしまいました。おじいさんの看護をしたんですよ。おじいさんが亡くなって、四十九日も過ぎてから、その当番の話が来たので、温冷配膳、冷たいものは冷たく、温かいものは温かくして患者さんに食べていただくために、おばあさんも元気だったし、給料もいいし働きました。朝は4時頃から夜遅くまで働かなきゃいけないけど、頑張ればいいかって行ったんです。

 昔は洋服仕立だったんですけど、でもだんだん安い洋服が入ってくるようになって、皆さん作らなくなってから辞めたんですよ。初め東京にいたんですけど、渋谷の栄通りで働いていたんですよ。目の前は道玄坂。うれしかったことは、モデルさんが着る洋服を雑誌に載せるじゃないですか。デザイナーさんにその洋服を作ってくださいと言われで何回か作ったり、デザインを仕立てる腕を買われ、仕立てた服が雑誌に掲載されたことがうれしがった。でも期日までに出さなきゃいけないときは、朝までやらなきゃいけなかったのが辛がった。でも若かったから乗り切れたね。

 

津波の後、中里地区の方たちにおにぎりをいただいた

 すごいエピソードがあるんですけど、山の方なので五右衛門風呂っていうのがありまして、薪でお風呂を焚いていただいて、入れてもらったんですよ。初めはね、陸の孤島になってしまったんですよ。波が両方から来まして、道路が寸断されまして。陸の孤島になってしまいまして、最初は情報も入らない、物資もない、いろいろ大変だった。4、5日。その時に中里地区の8件の人たちがお米を持ち寄って、100個以上のおにぎりを作ってくれて、その夜からいただいたんですよ。

 

メタボのカラスで溢れる町

 家は全部流れてはいなかったけど、家の中とが汚くなっているんですけど。海の水だけじゃなくて、田舎だがら、浄化槽がないがらみんながした汚物とがも、流されてきてるの。高田市内だけに浄化槽があるがら、この辺はなくて汲み取り式なの。個人で付けているところもあるんだけどほんとに少ない。海の水だけだったらきれいで良かったんですけど、汚物まで流れてきてるから大変なの。

 魚工場があって、そこあっだ冷蔵庫の中の冷凍の魚が流れてきて、それをカラスが食べてメタボになって飛べなぐなってるとかあったんですよ、ほんどに。鷹とがトンビとがカラスとがたくさん寄ってきて飛ばないで食べ続けてるがらね、その魚が腐ったりとが汚物とかが全部混ざって流れてくるので、きれいじゃない。ものすごぐ汚い。新築だった家は全壊じゃながったけど、泥とが汚物だらけで、全部床とか剥がして、石灰をまいたり消毒液をまいたの。

 一人じゃできないからお金払って、一関の業者さんに頼んで、全部作業してもらったんです。ボランティアだといつ来るかわからないから。塩分とが今は乾燥してるがらいいけど、夏とがになったらしみ込んできて、変えなきゃいげないなって思っでいます。掃除はまだ終わっていないんですよ。ハウスクリーニングとが頼んだんですけど、それでも間に合わないと思います。

 最近は、震災の恐怖から、家を高いところに作ることを考えています。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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