東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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志津川を語り継ぐ波乱万丈の語り部

「津波ミュージアム」への夢

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  • 話し手: 阿部長記さん
  • 聞き手: 安藤寿康
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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名前の由来

 阿部長記(あべちょうき)です。昭和11年12月20日生まれの75歳です。生まれたところは、当時の志津川町五日町67番です。きょうだいは、男4人に女2人の6人きょうだいで、私が長男です。

 名前に「長」という字のついたのが、私で3代目なんですよ。親父が「長寿」、それから私の爺さんは「阿部長兵衛」っていいます。

 これは千葉海苔店(志津川にある海苔店)さんの父方のおじいちゃんの千葉清兵衛という方がつけてくれたんです。清兵衛さんはわたしのことを大変かわいがってくれまして、戦後、小学校5、6年ころまで、いろいろと面倒を見てもらったんです。

 

農業8割、漁業2割

 うちは親父とおふくろの働きで農家を維持していたわけですけど、農業が8割か9割ぐらいで、残りの1割か2割っていうのは漁業やってたんです。

 農業は、いま中学校のある下の辺り一帯に、4反くらいの田んぼがありまして、それから今の小学校と中学校の建っている場所に山の畑、そこで米を中心にしまして、麦、小麦、大豆、じゃがいも。傾坂地には果樹を植えて、秋ですと柿、夏場ですと牡丹杏(ぼたんきょう。スモモの一種)です。

 山を切って焼き畑農業もやりまして、そばも作ってました。そばは全然手入れしなくてもいいわけですから、秋になってそばが出ますと、全部刈って干して粒にしましてね、それを精米所に持っていって粉にします。当時の升で6斗とか7斗、あるいは1石取れました。大晦日になりますと家族総出でそば打つわけですよ。親父とおふくろがぶって(そばを打って)、私が煮て、それを1軒分ずつお重に入れましてね、自転車で親戚のうち、近所、みんなに配る。

 山行くと、バッケ(フキノトウ)、ワサビにコシアブラ、ワラビにシドケに…、とにかく山菜も10種にあまるくらい種類あるんです。わたしもそのうち7、8種類取ります。春すぎ、「今日はちょっと山へ散歩してくる」って行って、帰ってくるときはその晩の自分のうちで食べる分には余るくらいのおかずが何種類もあるんです。

 漁業はワカメ、マツモ、フノリ、ヒジキ、そういった海藻類がだいたい春2月末から3月はじめ、ウニが5月から7月まで、タコが9月の末から11月ぐらい、この辺タコが有名なんです。志津川ダコ。それからアワビが12月の前半から1月の前半くらいというふうに漁期が決まってまして、そういうときに出漁して、自分の食べる分とか、あと多く取った分は漁協さんを通じて出荷する。

 なぜこの町では海産物が美味しくて、種類もいっぱい取れるかっていうと、この町の町境はぜんぶ分水嶺になっていて、よその町に降った雨は入らず、取り込んでいる有機物を全部ここに集めて志津川に入ってくる。一時、公害の問題でいろいろ騒がれましたけど、ここは全然そういう心配がないんです。

 

貧しさの中の豊かさ

 いまの子どもさん方には想像もつかないんでしょうけれど、その当時親父とおふくろがいろんなことやってなかなか暇がなかったんで、小学校の3年ぐらいまでは、私が妹や弟を連れて学校へ行ったんです。それから帰ってくればお守りか、私のすぐ下の弟が小さい子どもたちの面倒をみながら、私は農業のお手伝いをしました。本格的に大人なみに農作業をさせられたのは10歳過ぎるとすぐです。

 うちは貧しかったんですけども、反面、生活の潤いを求めるように、季節季節の節目にはいろんなことやっとったようです。きょうだい、両親も含めて、誕生日が来ますと、赤飯炊いて氏神さまにお参りをしたりして。いわゆる「ひもじい」っていう貧しさじゃなくて、自分のうちで食べるものは自分のうちで、いわゆる自家生産、自家消費やってました。

 

厳しい父親

 稲刈りも芋掘りも、昔は全部手で、鎌や鍬での作業でした。それを親父から教わりながらやるんですけど、自分が教えたように作業をやらないと、鎌の柄で頭をたたかれるわけですよ。親父は町内でも有名な頑固一徹者で「なんだよ、これ! なんでおれがいまやって見せた手つくれ(手つき)でやんないのか、だから鎌も鍬も持てねぇんだ」ってのが普通でしたから。

 あとは鉄拳制裁ですよね。嘘をついたり、他人のうちのものを盗んだり、それが露見しますと、ほんとに農作業で鍛えた握りこぶしで鉄拳制裁。痛いです。こぶがでますから。ですから少々のことにはへこたれないで、がんばってこれたなとは思っていますけどね。

 

農作業の手伝い、結をむすんで代掻き

 田圃をやる際に「代掻き」ってやりますよね。田圃を一回おこしまして、それに水を張って肥料を入れて、そこを馬に引かせて、農耕用の大きなマンガって機械がありまして、これで田の土を柔らかくするわけですよ。そのマンガを親父が押さえて、私が馬の鼻を竹ざおでリードしてやるんです。その「鼻取り」をやるのが、だいたい10歳前後から。馬の数が少ないので、お互いのうち同士で「結(ゆい)」をしあって、雨が降ろうが風が吹こうが、よその家までみんな順繰りにやる。報酬はゼロです。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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