東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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志津川を語り継ぐ波乱万丈の語り部

「津波ミュージアム」への夢

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  • 話し手: 阿部長記さん
  • 聞き手: 安藤寿康
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 087/101
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地元の材料で家を建てる

 ここは昔っから大工さんが多く「気仙大工」っていいまして、日本全国に出稼ぎで神社仏閣を作って歩いた宮大工だったんです。その流れがこの志津川にはあるんです。ただ大手住宅メーカーのせいで、仕事がなくて失業状態です。最近、県内の林業家のかたがたが、できれば地元の材料をつかって、復興するように家屋の新築をやってくれって、県を通じて職人組合の方にもお願いをしているようですので、地元の材料使って地元の大工さんによって作ることになれば一番いいと思うんです。

 そうでないと地域が活性化しないわけです。今回、津波で流されたわたしのうちを建てるときの条件が、「すべて地元の材料を使ってくれ」でした。私は地元の材木屋さんといろいろお付き合いあるんで、そういうつながりも大事にしたいから。そうしましたら材料を発注すると同時くらいに、偶然、地元の材料を使った建築物に対しては県の補助金が出るって制度ができたんです。だからうちの建築はすべて地元の人にやってもらった建物で、いまでもちょっと珍しいって言われたんですけどね。まあ、そういわれても跡形もないもんだから、どうにもならないんですけど。

 

語り部ガイドの仕事につくきっかけ

 いまから何年か前に、家内といっしょに車で越前の東尋坊にいった時、そこにお土産屋さんの小さなおばあちゃんがいろいろ案内してくれたんです。「おばあちゃん、かなり元気なんだけども、失礼ですけど何歳になられます?」って聞いたら、86歳っていいまして。「いやぁ、古希迎えたばっかりくらいにしか見えませんね」っていったら、「へぇ、じゃお茶いっぱい、ただでごちそうすっから」って。ただのお茶ですから、ただでごちそうされるわけですけどね、そういう冗談も平気で言う。それで「いや、びっくりしたなぁ、あのおばあちゃん。おれもな、歳とったら、ああいう年寄りになりたいもんだな」と家内と折に触れて話してました。

 それから10年くらい経って、同級生の連中で古希のお祝いで花巻温泉に行ったとき、そこの新渡戸稲造の博物館で、わたしと同年代のかたに全部説明してもらった。なるほど、そういうのもあったんだ。何かそういう機会があったら率先して参加しようと思っとったところに、平成20年のデスティネーション・キャンペーン(JRグループ旅客6社と自治体、地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーン)の前の年、平成19年の後半にミニキャンペーンをやろうということになりまして、そのひとつのケースということで、ガイドの話が持ち上がったんです。志津川の観光協会と南三陸町の役場の産業振興課が音頭をとり、同好の志とか興味のある人を呼びかけまして、講習会を何回か開いて、独り立ちをしました。

 

これからの志津川を描く「津波ミュージアム」

 最近TPPとか様々な問題ありますけど、一次産業の農業と漁業は、ここのものをここで消費する分については、本来そんなに問題がないと思うんですよ。これ以外はここに来たお客さんが買っていく。ということであれば、町の一次産業の活性化を図るためにどうすればいいのか、ということになりますよね。そうすると人が来なければだめなんですよ。

 いま防災庁舎を津波のモニュメントに残そうということを聞いてます。あんなモニュメントを作って残すんだったら、むしろ「津波ミュージアム」を作って、そこに避難ビル等を志津川のシンボルモニュメントという形にしたほうが、もっといいんじゃないか。利用価値もあるし、人を集める要素も結構あるし。われわれには、そういうふうにして、形と言葉で、次の世代にこの気概を風化させないような義務があると思うんです。

 

【プロフィール】

話し手:阿部長記さん

昭和11年志津川生まれ。半生を製材業、材木の販売と鉄骨加工など、文字通り建物の「柱」にかかわる仕事に従事する。平成19年より、南三陸町の観光事業の一環として語り部ガイドを始める。街の歴史と文化に精通し、聞き書きで志津川を訪問した際も案内役を務めてくれた。

聞き手:安藤寿康

慶應義塾大学文学部教授

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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