東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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家族があって仕事があって生活している人は幸せだ

私は運が良かった

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  • 話し手: 阿部章さん
  • 聞き手: 橋本拓真
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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水産業とガソリンスタンドの仕事

 地元の高校を卒業してから、同じ部落に水産関係の会社があったので、そこで5、6年働いたのかな。水産関係といっても、大きな船で沖のほうでマグロを獲るとか、そういったとこなんです。そこで事務って言うか、下回りみたいなことをしました。昔で私みたいな年代ですと消しゴムも何もないし、事務とか伝票整理って言っても、そろばんとか、よくて電卓ですからね。

 水産会社では遠洋に出るもんで、そういうときに何人かの人で船に出入りして、準備をいろいろやったり。今の時期ですとサンマです。だいたい11月12月くらい。年が明けたらマグロですね。いろいろ装備を季節によって切り替えて。あとは食料の準備とか手配です。船は年中出てるんで、残った人はいろいろと忙しい作業をするわけです。

 その後、社長の弟がやっているガソリンスタンドのほうに人がいないから、そっち手伝ってくれってことで移って。おんなじグループの会社だったんです。そこからずっと震災前まで仕事していたんです。

 ただ、ガスは危ないので、そういった危険物を扱うための資格を取るのが、大変でしたね。学校を出てからちょっと時間が経ってますから。今はセルフになっていますけれども、ああいうのはすべて資格がいるんですね。私は2回目の試験で取ったんですけれども、やっぱりなかなか大変でした。何十年もいるとこではないし、だいたい多い所で8年でしたね、震災前には休んでいたんですけれども。腰があまり丈夫でなかったんで、調子悪いからって、1年くらい早く辞めたんかなぁ。結構力仕事も多いですからね。見るのとやるのでは全然違うし。冬場ですとね、結構寒くて大変なんですよ。慣れるまではなかなか大変でしたね。

 

仕事がある、家族がいるということの喜び

 早い人ですと6月ごろから仕事を見つけて働きだしたんですね。私のほうは運よく、住んでる町役場のある社会福祉協会を通して仕事が見つかって、だいたい7月ごろから仕事が始まってますね。

 私は運よく仕事が見つかりましたけれども、同じくらいの年代の人でも仮設にいる人は大変だって聞きますね。働きたくても、年代で新しい仕事がなくてね。同じ仮設の両サイドに、70過ぎのおじいさんおばあさんがいましてね。どっちも独り暮らしなんですが、大変だと思いますね。なんだかんだ言いながら、家族があって仕事があって生活している人はいいですよね。身近な家族が亡くならなかったのが、一番の救いですね。

 

現在は内職センターで

 5月6月に雇用対策に応募して、一応7月から内職センターで働いております。元は入谷中学校という学校だったんですけれども、廃校になって校舎そのものは取り壊していなくて、そこの特別教室というんですか、そこで働いております。

 私は内職センターの箸の仕事です。箸っていいますと、普通は塗箸とか割り箸とかありますね。それと繭細工と、復興ダコっていうオクトパスの文鎮づくり、その3つに分かれているんです。今のとこ、そこに入って一応塗箸をやっております。製品が何十膳とできて入ってくるんですけれども、それを検品ていうんですか、傷とかいろいろなところを検査して。良しであれば、シール貼って袋に一膳一膳入れていく。そういった仕事をやっております。あとはそれをまとめて段ボールに入れるんです。連絡が来た時に、すぐに発送できるように準備しておくという仕事ですね。女の人9人と、男が2人かな。オクトパスのほうは、臨時社員が7、8人いるのかな。タコは色を塗ったりだとか、タコを置く台を削ったりだとか結構仕事があるんですね。そういうところは、ボランティアで応援してもらったりするんで助かるんです。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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