東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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家族があって仕事があって生活している人は幸せだ

私は運が良かった

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  • 話し手: 阿部章さん
  • 聞き手: 橋本拓真
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 088/101
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これからはとにかく雇用だ

 志津川は漁業の町ですからね、やっぱり水産関係が復活しないことにはだめなんじゃないかなと思いますね。水産が今はストップしている状態です。水産関係の会社をやってる人や、水産関係の仕事に就いてる人が多いんで、やっぱりそれが重いと思いますね。今は、ほんとになんでもいいから働く場所が必要です。雇用問題が一番です。私ぐらいか、その上の年代の人たちが、一番難しいんじゃないかと思いますね。ほんとに大変です。これからどうしたらいいもんかと思います。

 

志津川の水産をもう一度

 まだまだ見つからない人が志津川だけで2、300いると聞きますし、私たちの部落でも32、3人亡くなった方からまだ3、4人見つかっていないですし。同級生でも3、4人犠牲になっています。これだけ時間も経ってますから、見つかれば家族としては諦めはつくんでしょうけどね。こんなに酷くなるとは思わなかった。瓦礫にも挟まってないから、ご遺体は海の中なんでしょうけどね。引き潮で持ってかれて。今は魚でも食べるようにはなったけど、前ほど海から獲れるものってのも、食べる気持ちにもなんないような感じなんですよね。仮設に入って食べるようになったのも、この頃です。ずっと沖で獲れるような鯖とか、今の時期は秋刀魚ですね。そういったのぐらいです。志津川では、時期的にはそろそろ鮑の季節なんですよ。貝類の場合はどうなってんのかなと思うんです。牡蠣、ホタテ、鮑、海苔もそこの海で養殖してましたんで。ちょっと今は好んでは食べれないですよね。たぶんみんなそういう気持ちじゃないのかなと思います。

 

ここを離れたくないですね―今までの暮らしはとても贅沢だった―

 マイホームを建てたいとは思うんですけど、代替地をもらえるんだか借りるんだか、まだその辺も決まってないんです。子供が今のところそういう状況なので、2、3年様子を見て、離れることになるか。もしくは子供がそのうちこっちに戻ってくるってことになって、仕事があればね、こっちに家を建てたいとは思うんです。できないとは思いますね。もし、町営住宅とか建つんであればそっちに入ろうと。そういうのは、この仮設出ないとできないのはわかるんですけどね。子供がずっとそっちにいるっていうんであれば、そっちに行くしかないのかなとも思いますね。私としては南三陸町を離れたくはないけども、離れざるを得ないという感じですかね。残るとしても、住宅かなんかに入ると思いますね。だって、子供に、「お父さんとお母さんさそっち行くぞ」って言ったら、「来ないで来ないで」って言われちゃいますもんね。やっぱり、少々濡れていても窓ガラスがなくても、自分の家がいいですよね。今回のこういう生活の思いをすれば、やっぱり今までは贅沢だったのかなというふうに思いますよね。

 

【プロフィール】

話し手:阿部章さん

漁業会社で事務と管理の仕事をこなし、ガソリンスタンドの職員を定年間際まで勤めた。現在は仮設住宅に住みながら、内職センターの職員として働いている。

聞き手:橋本拓真

慶応義塾大学文学部人文社会学科教育学専攻3年

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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