東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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お互い助け合ってさ、私はここがいいなぁって。

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  • 話し手: 吉田哲子さん
  • 聞き手: 秋山真衣
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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自己紹介―津波のおかげでここへ来た―

 名前は吉田哲子(よしだてつこ)。昭和2年9月11日生まれの84歳。大船渡市の末崎町で生まれた。5人兄弟の末っ子。姉が4人いたの。息子が今回流された。娘は今千葉にいる。仮設にじいさんとママ(息子さんのお嫁さん)と孫がいる。

 仕事は、郵便局に勤めてた。みんな我々年代はお姑さんに使われたでしょ。そういう時代だったから。共働きは大変なの。子どもがなんかかわいそうだなぁと思って。郵便局の隣に姉がお店屋さんやってたから、私はそのままぽんって子どもを置いて郵便局へ行ってた。お姑さんは畑やってたから、私がおんぶして職場まで行って、姉にぽんって預けて。お姉さんは店番。おかげさんでね、なんとか、32年間働いた。昭和52年か、退職して。それまで小友にいないから、この辺はそんなに分からない。大船渡の細浦っていうところに郵便局があったから、あっちの方がそれこそ家みたいで。碁石海岸の近くなの。私ら同じ部落でも、めったにここに来ないから。津波で初めてここへ来た。こんなところあったんだぁ。津波のおかげでここへ来た。

 

とにかく男も女も仲が良かった

 私たち昭和2年生まれでしょ。私たちの時代は男も女も仲が良くって、よく一緒んなって遊んでたからね。山越え野越え。山へね、いろんなものを採りに行ったのよ。すかんぽ(スイバ)を採りに行って食べたのよ。あとは、木の実があるでしょ、苺とか木苺とか山苺とか。そういうの採りに行って、食べたよ。みんなで行って、みんなで遊んだ。縄跳び陣取りで遊んだでしょ。私の生まれた実家が、庭が広いからみんな遊びに来るの。ゴム跳びって知らない? ゴムを張ってね、2人で持ってって、最初はこのくらいね、次はこのくらいの高さ、次はこのくらい、ってだんだんこう高くしていって、それを跳ぶのよ。走って行って、ひょいっと。女の子も。あとお手玉とおはじきとかよくやったなぁ。私お手玉が得意でさぁ、大好きだった。自然と4つでも出来た。5つにも挑戦したんだけどね、あまり出来なかった。

 ほら、私津波で何にもなくなったでしょ。でも、私らが幼い頃も物がなかったけど、今は、どっちがいいんだか、昔は楽しかったよぉ。

 同級生っていいねぇ。今でも会う。この辺にもいるし、そっちこっちに散らばってるけどもね。同級生の私の友達が、盛岡と水沢(奥州市)にいるんだけど、その人ともう1人の3人と、私の4人で20年以上旅を続けたかな。一関の、簡易保険の保養所があるんですよ。かんぽの宿ってあるの。それがね、開設すると同時に、4人で毎年集まったの。その友達がね、「もうみんな80歳も過ぎたから、みんなよぼよぼになったから、あんまり怪我しないうちにやめよう」って。去年、「今年集まったのが最後にしよう」って。それで年末に集まって、終わりにしちゃったの。それで3月の津波でしょう。そいだらその盛岡の友達が、これ(羽織ってるチョッキ)を作ってよこしたのよ。水沢の友達もね、セーターから、着るものから。自分で縫って、そいで私にみんな送ってくれた。ありがたかったぁ。これね、お茶の手入れやってるの、この人。「何でもみなさんからいただいてあるけども、これから冬になると寒いから何か綿の入った物が欲しいの」って言ったら、「じゃあ私のあの着物ほどいて綿入れて縫ってあげる」って。だからこれ離さないで着てる。あったかい。だからもう本当クラスメートは大事にしなくちゃねぇ、有難いよぉ。私らほんっとうに仲が良かった同級生だったの。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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