東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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お互い助け合ってさ、私はここがいいなぁって。

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  • 話し手: 吉田哲子さん
  • 聞き手: 秋山真衣
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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青春なんてものはなかった

 私津波に遭ってね、つくづくそう思ったけど、いやぁなんでこんなに運が悪いんだろうって、本当に。私らは昭和19年の女学校卒業でしょ。すぐもう挺身隊って、軍部の仕事に駆り出されたのよ。女学校卒業するとすぐに17歳でね、埼玉の朝霞に行ったの。被服廠(ひふくしょう)って言って兵隊さんの服とか靴とか作る工場があったのよ。陸軍被服廠。そこで、1年半で終戦になったから。

 私らは検査班で、縫製で洋服作ってる人たちの出来上がった洋服を、検査するわけよ。どこかほつれてないか、ボタンは取れてないか、チャックがちゃんとついてるか、それをやったり、機械で梱包して運んだり。でもね、みんなほら、戦争がひどくなったから、次々に群馬とか栃木とか、山ん中へね、疎開したの。だけどまだそん時私らが本部で事務をやってたのね。そこで終戦を迎えたわけ。今まで私らが一生懸命作ってきた書類なんかをね、なんであんなことしたんだかなぁ、陸軍の穴があるのね、そこでみんな燃やしたのよ。終戦の次の日。書類燃やして、それで、次の日帰ってきたのかなぁ。すごかった。切符も何も取れないでしょ? だから、兵隊さんの偉い人が、私は軍属の徽章をつけてたから、「この徽章があるから、お前たちは切符買わなくても大丈夫だから、そのまま汽車に乗って帰れ」って。乗ったはいいがねぇ、汽車がすごいの。もう人で人で。屋根まで溢れてる。それに乗って、押しつぶされそうになって、途中でまた降りて、今度は貨車。そこに入れられて、窓も何もないから真っ暗で、これ今どこ走ってるのかなぁと思いながら。とにかくもう私らは家へ行きたいいっぱいでね、4人で来たから。それで一関に着いて降ろされた時、ホッとしたの。あぁ、ここまで来ればもう大丈夫、家はもうすぐ。すぐでもないけど、岩手でしょ。一関で降りてホッとして友達と泣いて、それで帰ってきたの。だから私らの青春なんてものはなかったね。戦争一色でね。戦争終わって終戦後でしょ? その終戦後がすごいのよ。物がないんだから。全然物も米もないのよ。配給なんてなかったからね。でも私たちはほら、田舎で暮らしたから、まだ自分の畑だの田んぼもあるから、だからなんとか、食べるのは、食べられたけど、でも、すごかったよ。

 

5人兄弟の末っ子で。

 私5人兄弟で姉が4人いたから、一番上の姉が、私と16違う。私がね、小学校へ上がる頃、嫁に行った。だから姉の子の姪っ子と6つしか違わない。でね、その姪っ子が、今旭川にいるんだけど、こないだもね、いっぱい着る物送ってくれた。

 うちね、お舅さんが101歳まで元気で、私ね、70歳まで嫁の務めしたの。明治生まれのね、頑固なおじいさんだったの。すごいの。なんていうのかなぁ、自分の思い通りにいかないと、もうだめって。口ゲンカはよくやったの、2人で。まぁケンカするほど仲がいいっていうのかな。ほら、自分の思っていることを、あっちも喋れば私もしゃべる。だから、お舅さんっていう感覚でなぐ、父親と似たような感覚だっだのかな。

 

ホットケーキは黒砂糖入り

 勤め人だったから料理はあんまり得意じゃない。朝は列車早いからさ、7時に出てた。でも、私のホットケーキは独特なの。黒砂糖入れてね。それで焼いて食べさせると息子が喜んで。水入れないで牛乳とお砂糖と重曹を入れてね。それがうちの息子だぁい好きでよく食べたもんだ。孫が「おばあちゃんが焼いたの食べたい」って言ってたって。作ってあげたいけどね、鍋がなくなった。あつぅいフライパンだったの。

 

津波の後に咲いた奇跡―牡丹の花―

 あとは私、花が好きで、花を植えたりしてました。そいでね、私本当に感動したのは、津波のあと10日くらい経ってからかなぁ、ここ(避難所)に移って初めて、流れた家の跡へ連れてってもらったの、車に乗せられて。流れた跡どうなってるんだろうなぁって思って、行ったでしょ? 道路から庭に入って行ったらね、いやぁ感動したってあれのことかなぁ、牡丹の花がね、あの波をかぶったんだよ? 流れた玄関の前に私の植えた牡丹の花があったの。それこそ牡丹色っていうの? 花がねぇ、5つぐらい咲いてたの。きれーいに咲いてたのよ。私それを見て、「あの大きな波をかぶって、よく咲いたねぇ」って、撫でて、泣いちゃったの。可愛かったよぉ。波かぶってよく咲いたと思って。その牡丹の花ね、後で枯れちゃった、やっぱり。花が終わってね、枯れたの。本当感動した。よく咲いた。すっぽり水に入ったんだよ? 流されたんだから。蕾のまんま波にさらわれたんだね。蕾だからね、波かぶっても、開いたのかなぁ。あれにはねぇ、本当に慰められた。あともうみんなダメだけどね。

 83年生きてきて、ここでこういう目に遭うなんて、考えたことなかった。早く家建てたい。早く家建てて、庭にね、草花植えたいの。チューリップもいっぱい植えてたのねぇ。みんな流れちゃったから。水仙なんて何十種類あるかわからなかった。広かったから。でも、私勤め辞めてから、少し畑やったから、楽しかったよぉ。

 それと私昔ずいぶん歩いたなぁ。旅行が好きだから。おじいさんをほったらかして、私友達と歩いた。旅行は景色だねぇ、やっぱりねぇ。景色がいいねぇ。あの、歴史的なものあんまりだめさ。すぐ忘れちゃうから。景色は眺めたものが頭にずーっと入ってる。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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