東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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この町をちゃんと残さないとね

孫たちに語り継げる町

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  • 話し手: 阿部禎介さん
  • 聞き手: 山本愛
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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漁船の仕事―外国も見られっかなと思って、それが始まりだったね―

 帰って来てみたら、やはり家計が裕福でないようだし、手っ取り早く家計を助けんにはその頃は漁船しかないと思ったのね。その漁船てのは、もっとも嫌いだったの。遭難してるでしょ。漁船に乗って、20歳の同級生の親友3人がおんなじ船で遭難して亡くなってんの。そういうのも、間近に体験してっから。でも、しょうがないなぁ。手っ取り早く家計を助けんのは、これしかないから。だから同級生に頼んで、俺を船に乗せてくれって。

 船には漁労長っていう一番偉い人がいるでしょ。そん時は25歳だから、お前、その年で乗って何になれんのって。つまりは、もう遅いってことね。とにかく頑張るから乗せてくださいって。そしたらそれがいきなり1年航海、フィジーに船団で行く船だったの。なんか外国も見られっかなと思って、それが始まりだったね。あと船の資格取るには3年間の乗船履歴が必要だった。これがないと国家試験を受けらんないの。だから3年間は下積みで、いろんな勉強して、独学だね。あとは機関部員の経験を積んで、それで3年の乗船経歴を付けた。国家試験に臨んで。国家試験は、どんどんどんどん上があるからね。だからそれで最初は中間くらいので受けたんですよ。それはもう受かってね。最高幹部にいかんでも中間くらいのね、給料も上がるし。でもこれで満足はできないなーってさらに上を目指した。

 そして、「とにかく免許は取ったと、次は結婚してうち建てよう。もしくはうち建てて結婚しよう」と思って。その目標を立てたのね。まぁ目標だけは立派だけど。そしたらもう、全部実現したからね。我々の生活だと満55歳から年金がもらえるわけ。10年以上勤続すると、退職金が満額なんです。大した額じゃないんだけどね、でも100%出るの。だから、それも目指して頑張って。円満退職してね。

 退職後、2、3ヵ月好きなことやったかなぁ。釣りしたり、もう54で退職したから年金もらうには1年早いし。そんなこんなしてると、近くの船の修理をしている鉄鋼場に、うちに来てくれないかって言われて、2、3ヵ月勤めてたかな。そしたら、前に自分が乗ってた船がまた沖に来てるでしょ。そしたらオーストラリアから私の代わりに行った機関長が体調崩して帰国することになったから、急きょ来てくれないかって、それで飛行機で行きました。それは臨時で行ってきて、今度こそ退職だよ。北極に近いほうに行ったこともあってね、オーロラ見たりね。だから赤道も通ったし、はじっこからはじまで行った。楽しいっていったら楽しかったね。

 

町のために―もともと生まれ育った町だしね―

 船辞めて2、3年後かな、行政区長やってくれって言われて、それも7、8年やったかな。非常勤公務員で、忙しかったね。自分みたいな人間でも信頼されてんだから、それに応えられるように。もともと生まれ育った町だしね。そしたら今度は民生委員やってくれって。厚労省からの指示だからね。まぁ人選するのは南三陸町だけどね。厚労大臣から辞令もらうの。あとは県知事と、町長と。仕事がたくさんあるの。国勢調査もやってます。本当、自分の時間はあんまりない。なんかね、自分っていうのは、正義派っていうのかな、悪く言えば頑固なの。絶対、人に譲れないタイプなの。ただ、モットーにしてんのは、自分にできない約束はしない。あとそして、70過ぎて民生委員やるようになって、やっぱり相手の立場っていうの、相手の目線で考えて話をしないとなって。相手の立場をより多く理解してやろうって。

 とにかくみんな力貸しあって、声かけ合って、将来の不安がないように、行政がもっとがんばってくれないとね。我々だって限界あるからね。ただ、仮設に来てみんな表情が明るくなったなって。毎日、朝起きればすぐ声掛けられるでしょ、固まってきてるから。その中には、幸い震災から逃れたとこに住んでる高齢者もいるわけね。そういうところは定期的に車で訪問して、民生委員だからね。まぁ生きがいだね。今の任期あと2年残ってるのね、まるまる2年。だからそれが終わったら退任しましょ。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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