東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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苦労、また苦労、でも生きて頑張んなくてはと思って

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  • 話し手: 吉田アヤ子さん
  • 聞き手: 猪股明希
  • 聞いた日: 2011年12月11日
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津波と再会

 私ねえ、3月11日は高田の市民会館さ確定申告に行ったんだよ。あそこは高田松原が近いんだから海の近くなんだべねえ。毎年確定申告は3月の11日行くように決めてたんだけど、受付で呼ばれんのは順番だから、朝早くに行ったの。そしたっけね、申告終わりましたよって早く呼ばれたの。それなら早く家さ帰った方がいいから、おかずをいっぱい買って3時なんぼの下りの汽車で家さ帰っぺと思ってね、高田の駅さ来たの。

 駅さ来たらすごい揺れて、すごいんだから。そしてタクシーの運転手さんさ言ったの、運転手さんあの、小友まで帰って行きてえんだけっどもって。したっけ、ああ、いいから、ほら、乗らせ乗らせって言ってくれて、でももう私たまげちまってたから、そのとき買ったおかずも財布入った鞄(がばん)も駅ん中さ置いて来てしまってね。車さ乗ってか運転手さんが、お客さんお客さん、駅の中さある荷物、おたくさんのって教えてくれるまで気づかなかったの。

 そんで車で家さ帰ってきたらね、すごい波がもう…。まさか大きな津波が来るとは思ってねかった。大きな地震程度だと思ったから。その後ね、隣の人を誘って逃げたの。周りの家の人はもう逃げてしまっていたの、隣の辺りの人もいなかったの。ほんで下の方の家さ行ったっけね、車さ3人乗っていらったの。どこさ行ってきらったの、って聞かれて確定申告に行ってきたって言ったら、ほれほれ、乗れって言うから、近所の人の車さ乗ったのね。車さ乗ったっけね、下の方から「なに車さ乗ってんの、今津波が来たから逃げろ」って言われてね、だから夢中になって高台さ逃げたんだ。逃げる途中にこう振り返ったらば、辺りの部落の家がね、全部の家が流れてくのを見てしまったんだもの。まさかこっちまで流れっと思わねぇからね。

 避難場所はここ、モビリアだったの。そっちからこっちから皆寄ってここさ車でみな来たの。でも安心はしたったよ。体弱い人と年寄りがそこさ入れられて、私もドームにいたったの。あと他の人はセンターにいたね。その時もうねえ、雪は降ってくるし寒いし、食べんのはねえし腹は減るし、まあいろんな体験したねえ。でも立派な布団あってねえ、毛布も1人1枚あって。夜も布団で寝たけっど、いろいろ考えて寝らんねんだっけね。だって家がねえんだもの。その後しばらくしてから私の家は全壊。でもあともう一軒、廣間の長屋は屋根と柱はなんとかあったから、大丈夫だった長屋の2階の押し入れから毛布5枚持ってきたの。布団から敷布団なんかも。服はドームとかにあったのを着たね。あとはみんな助け合ってね。

 ここの高台からは高田町が丸っこで見えたんだ。でもね、23歳になる孫が4日経っても5日目の朝になっても帰ってこねえの。全然連絡ねくなってしまったの。孫が仕事に行く通り道がちょうど高田の方にあったからね、心配で。高田の方を見てた時ある人が、ばあさん何見てたのって聞いてきたの。だって孫5日も来ねから高田の方見てたって言ったら、ばあさんね、孫5日も連絡ねえってことはもう流されたんだって言われたの。そしたら居ても立ってもいらんなくてね、我が家の方さ下がってきたの。そしたら、後ろから「ばあちゃーん」って、5日目の朝になってやっと。それで二人で抱き合って泣いたの。今はもう涙も何も出ない。孫は家さ帰って来っぺと思ったっけね、道路壊れたり波が入ったりしてっから、警察の人がいっぱいいてストップかけられて、家さ帰ってこれなくなったんだと。ばあちゃんがドームにいると思ったから、店長さんに持ってけって言われた弁当から飲み物からいっぱい持ってドームさ上がってドア開けたんだ。そしたら、おーい学くん、来たのかってみんな喜んでくれて万歳したんだって。でもばあちゃんいねえから見さ下がって我が家に来た、って。抱き合ってさんざん泣いたもの、一生忘れらんになあ。

 津波ん時はね、おらなの(私なんて)死んだ方いがったなあと思ったよ。孫は若いから今からどうにでもなるし、ドームにいた時はコロンと転ぶほど痩せてしまったし。だけどね、孫があんまり優しいから生きて頑張んなくてはと思ってね。

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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