東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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この町の海を取り戻す

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  • 話し手: 遠藤勝彦さん
  • 聞き手: 佐藤万貴
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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プロフィール

 昭和27年11月25日生まれです。年齢は間もなく59歳ってとこでしょうかね。家族は皆、健在で、女房と息子とその子供と暮らしてます。孫が小学1年生で、今日は梅島の学習発表会ってところで、午前中を過ごしてきたところです。本来ですとこの町の小学校ですけれども、避難したのが合併前の隣町ですので、小学校はそっちの方にお世話になってるところですね。特別援護の学級ってことで、簡単に右から左へは移れない状況下ですので、しばらくはそっちでお世話になろうかなと思ってます。職業はカキ漁をやってました。

 

志津川のカキは衛生的で有名

 ここの湾内は穏やかなんですよ。それで、貝とかにしてもゴワゴワっていう堅いものではなくて、柔らかさもあって、なおかつ甘さがあるんですよ。海藻にしても貝にしても。それに大きい河川が入ってないですから、海の水自体は結構きれいで、この辺になってくると、貝毒っていうのが発生しないんですよ。石巻地区までは貝毒の事例が報告されて、出荷停止処分を受けるんですけれども、志津川はそういうのが現れたことがないんですよね。

 そういうところに目を付けたのか、志津川産のカキは宮城生協が買ってくれてたんです。生協の店頭に生鮮食品が並ぶというのは、色んな検査をクリアしないといけないみたいで、ハードルが結構高いんですよね。だから志津川のカキは、ブランドものになってる。例えば我々が1トン出荷したとすると、1.1トンくらいの量が関東圏で出回ってたということで、志津川産にどっか別の産地のやつも交えて、志津川産っていう名前を使ってたみたいなんだねぇ。それくらい、モテた時期はあったんです。ただここ3、4年に関しては、密植の影響で身があまり良くはなかったんですけど、衛生面できちんとした対応をしたカキだということで、結構モテはしてたんですよね。

 カキに含まれる亜鉛分と鉄分だかなんだかの比率がね、いろんな栄養素を一番いい割合で体内に取り入れることができるんですって。ですから、季節的にですけど、風邪を引いたときなんかカキはおすすめだね。ネギも入れてカキも雑炊にして入れると、すごく体あったまるしね。意外と生で食べる形での流通はしてないと思うんだねぇ。加熱で食べてくださいっていう指導をしてると思うんです。衛生に関しては、宮城県は県条例が厳しく、高いハードルを設けてるんですよ。それを我々も課せられまして、生産者共通の意識として、気を付けながら作ってきたとこなんです。まぁ、それら全て、海の施設も船も無くしました。俺自身船も無くしましたしねぇ。あと、陸上で共同で使ってたカキの処理場、そこを無くしてしまいましたしね。

 カキの養殖の仕方は、種を取って、その後ロープに挟み込んで、それを浮き球っていういかだに追加します。今ね、このホテル観洋のロビーから海を眺めた時に、黒い球が20本くらいバーッと1列に並んでるのが見えるけど、それがカキのいかだで、それの下に挟み込んだカキが下がってるわけです。それが大きくなっていく。

 

漁師になることに対する思いの変化

 カキ養殖の仕事は俺のおじいさんの代から始まったんです。俺で3代目。上2人が女で、3番目の男でしたのでね、俺、可愛がられたんだべねー。3番目の家督だっていうことで、周りも子供いないとこでしたんで、みんなに可愛がられて、「家督だ家督だ」って、小さいうちから言われてたんだね。で、「あぁ、自分がこのうちを継がなきゃならないのかな」って自然に思ったんでしょうか。中学校に入ったあたりから、朝の手伝いなんかはしてました。海までは行かないですけども、船からあげて、カキの処理場に運び込むっていう作業の手伝いはしてたんです。若い時分からそうやってみてっと、俺の場合は、「そのままうちの仕事はやんだなー」って思ってたね。海の仕事はご存じのように合羽着て、結構頭から泥かぶったりとかってするのがありますからね、「違うことやりたいな」って、ホワイトカラーに憧れてたね。でも、高校に入るあたりまではろくに勉強もしないで、のんびり過ごしててね、「どうせこの仕事継がなきゃならねぇのかなー」って思ってたんだ。ところが高校卒業の段に俺より成績の悪いやつが、どこの学校さ行くって話になってきたときに、「あー俺も大学行きてぇなー」って思って、「行かせてけろ」って親父さ言ったんだ。そしたら、即座に「だめだ」って言ったのね。3番目の息子だし親も年取ってきたでしょうし、俺が高校終わったら稼ぐ、うちで働くもんだと思ってたから。

 分別のない年齢ですよ、俺はだめだって言われると逆に反発をしてねー、どんなことがあってもいいから行くって決めたんです。そしていざとなったら親父も折れて、「そんなに行きたきゃ行けや」ってなった時に、初めて俺、「じゃあ行かなくていいや」って思ったのね。今となっては、「行ってればまた違う世界があっただろうな」って思うけどね。「行っていい」って言われてあきらめがついたんだね。

 そんで、「大学は行かないから、1年だけ仙台さ遊びにやらしてくれ」っていうことで、簿記とかやりたいなと思ってね、1年だけうちを離れたんですけど、それ以降は、ずっと自分のうちで仕事をしてましたんでね、19から今までだから、40年間?、この仕事やってきたっていうことで。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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