東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

暮らしを語り、想いをつなぐ。

お問い合わせ

この町の海を取り戻す

SONY DSC
  • 話し手: 遠藤勝彦さん
  • 聞き手: 佐藤万貴
  • 聞いた日: 2011年10月22日
  • 096/101
ページ:2

家は全壊

 家はもうきれいさっぱり何も残ってないですね。この前まで、土台と基礎とフローリングが残ってたんですけども、それも取り外されてしまって、今はちょっと海の潮が上がってくるともう、我が家の周辺は水没状態ですね。海岸線から200、300mってところでしょうかね、昔の魚市場の近くなんです。わが行政地区は全てそういう感じでしょうかね。土地自体が削られて、えぐられて、海と化してる場所もあるんです。それから比べればまだ、ここが我が家だっていう場所はしっかりしてるから、それだけでもいいのかなって思ったんですけど。

 

「あっぺとっぺ沖の須賀」の創設

 震災当初は、「もう海いいや」って思ったのね。被災してすぐに避難したのが、女房の姉のうちだもんで、そこで1ヵ月過ごして。避難した先が山間のところでしたので、避難してすぐ、梅の花が咲いてきたしね。あと、スイセンとか桜も咲いて、何も咲いてかにも咲いてって、まぁその花のきれいなことね。そこの一軒家をお借りしたのが1ヵ月後くらいでしょうかね。それであとは、2年くらい前から空き家になってたってとこをお借りして、今住んでんです。川は流れてるし、庭の前から湧水も出てるんですよ。震災後は水のない時期だったもんで、その湧水を汲んで暮らしてたね。ですから、こんな生活の方がいいなって、ちらっと思ったりはしたけどね。

 そんなこんなして過ごしてるうちに、たまたまって言ったら失礼ですけど、海に流れ込んだ瓦礫を撤去するっていう作業が、5月の連休明けあたりから仕事っていう形で入ってきたんですよね。そこで、もともと志津川の方にいた90世帯のうち、漁師をやっていた15、6人のメンバーが一緒に瓦礫撤去の作業に入ってきて、そこで集まってきたときに、ようやく皆も仲間内で安心感の中で話ができたんではないでしょうかね。笑い声も出てきて、「あー、俺しばらくぶりに笑った」っていう人もいましたんでね。その瓦礫の作業が入ってくる前は、それぞれ一人ひとり悶々としてたんでしょうね。今住んでるその地域っていうのは、1軒のうちも残らずに全滅ですから、その集まったメンバーは皆家がない。だからこれは皆で助け合っていくかっていう一つの運命共同体みたいな雰囲気になったんでしょうね。わかめ養殖屋さん、ホタテ養殖やさん、あと、定置網持ってる人、その15人で皆でやりましょうということでスタートしたのが6月くらいからでしたね。「じゃぁやるかっ。めげずにもう一回海の仕事に挑戦しましょう」っていう気にはなりましたね。

 チームのネーミングは、「あっぺとっぺ沖の須賀」。あっぺとっぺっていうのは、ちぐはぐって意味です。漁師連中の集まりとしては、和をもって今は進んでますんで、仕事に関しては、そういう方向性は見えてきました。作業に出てくるメンバーも結構和気藹々としてやってる最中です。日々、結構賑やかな雰囲気で、今は何とか海を再起させたいなと思ってて、とりあえず震災前の場所を復旧させようということで、10人のプロジェクトを組んで、GPSっていう装置をつけながら、「ここは前はこうだったよね」って2、3日かけて区分けをして行って、陸上ですと白線でラインを引いたりとかね。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
「聞き書き」とは 詳細はこちら 一覧はこちら