東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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南三陸町で幸せを感じたい

もう一度、商店街の洋品店から

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  • 話し手: 菅原栄子さん
  • 聞き手: 山本愛
  • 聞いた日: 2011年10月22日
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自己紹介

 菅原栄子(すがわらえいこ)。昭和32年5月15日生まれです。前は勤めてたんだけど、結婚してずっとお店やってたね。昭和57年にこっちに来たの。だから来年で、30周年。夫とはずっと一緒に来たからね、今は本当に空気のような存在です。喧嘩もろくにしたことないしね。24歳のときに結婚してずっと一緒。私が卸町にいたから、あっちは卸町の商店の社長の息子さんと同級生なんですよ。それで来てるうちに知り合って。

 家族構成は、夫と私と、おばあちゃんが一人います。85歳のおばあちゃん。あと仙台に一人息子がいます。息子は高校卒業して専門学校行って、就職しました。

 震災に遭ったのは3人で、息子は一人で仙台でね。しばし連絡取れませんでした。住んでたのは、あの、南町で旧魚市場から何メーターだろう、歩いて5、6分とかのとこ。だから今は高潮になると水が入って行けない状態。最初は土台が残ってたんだけど、もう無いです。

 

現在の暮らし

 5月の連休前に第1回の仮設で入れたの。6ヵ月か7ヵ月経ってやっと普通の暮らしができて、今は仮設住宅でやっと落ち着いて歌が歌えて、歌を聞けることができてね。

 震災から2週間くらいは、うちのばあちゃんは、娘のところにいたんだけど、結局うちがなくなったってことが分からないでしょ。津波に遭ってうちがなくなったのも見てないし、仙台に行ったのも夜行ったから見てないもんでしょ、だからうち帰りたいって言ってしまって。3月の末頃に「そろそろ4月になるからお邪魔様でしたー、もう帰りますー」っておばあちゃんが言って。私は、「おばあちゃん、うちないよー」って、うちを見せたの。そしたら、がっくりして、今3人で仮設住宅に入ってます。最初のとき、おばあちゃんは大変だった。状況がつかめないから、外に出れば景色が違うし、転んだんです。最近は、ようやく慣れたね。

 私は最近アルバイトやってるんです。おばあちゃんがお留守番できるからね。今ね、小浜の箸でNPO法人かなんかの支援だと思うんだけどね、割りばしを袋に入れるのをやってるの。町の支援かな。募集があって30年ぶりに面接受けて。

 

南三陸は海も山も美味しい

 うちの近くの魚屋さんも家族2人でやってたから辞めるって言ってたけど。そこのウニが食べたい。ウニが開く頃になると、魚屋さんから今日ウニ開いたよーって電話が来て、「はーい」って。1年に5回開くときもあるし、毎週開くときもあるし、開かないときもあるし。今年はあまり開かなかったんだけどね。

 お正月は、小さい鱧を乾燥させてだしにしてお雑煮を作るの。この辺は鱧だし。12月の始め頃から中頃になると魚屋さんに鱧がぶら下がってんの。それを、1,000円くらいしたかな、必ず買って、冷凍しといて、で、お正月にそれを使うの。鳥だしと鱧だしで、上盛りにかまぼことタコとイクラが入ってる雑煮です。なんかもうお椀に盛り上がってる。

 



■ 宮城県南三陸町志津川

宮城県南三陸町
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