東京財団×共存の森ネットワーク 被災地の聞き書き101

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悔しいけれど、津波に負けたくない

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  • 話し手: 佐藤ミツ子さん
  • 聞き手: 須藤佳美
  • 聞いた日: 2011年12月10日
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おにぎりとお風呂

 3月11日の夕方、中里部落のお父さんお母さんたちが大きな大きなおにぎりの炊き出しをしてくれて、100個も作って来てくれました。「あぁ、これで生き残れる」と、とても感謝しました。不思議な感じでしたね。こんなおにぎりが美味しく、ありがたく思ったことはこれまでにありませんでした。今コンビニに行ったら物があるけど、コンビニもない地区です。それから寒い寒いこの時期です。夜に布団、毛布が近所から届けられました。

 次の日からは味噌汁と大きな大きなおにぎり130個ほどで。1日2回を続けて届けて頂きました。それからある日、あるお孫さんがお誕生日だからと、同級生の若いお母さんからでしょうか、おにぎりをパンダ模様にしたこともありました。丸いおにぎり、三角おにぎり、豆おにぎり、そして海苔でパンダさんおにぎりを、ソーセージでカニさんおにぎりを作りました。その時は、本当にみんなで手を叩いて歓声を上げたことを覚えています。

 津波から3日後、お椀も無いから地区のみなさんからいただき、箸も無いので山の木を切って箸にしました。ガソリンもないので、車ではなく、リヤカーで上り坂をひいて届けていただき、なんとも頭の下がることでした。大きな大きな力を頂きました。

 3月20日ぐらいになると、物資も多く届くようになり、炊き出しも終了しました。炊き出しをしてくださった皆さんによるお風呂サービスに代わって、入浴が出来る様になりました。「物資で間に合いますから、ちょっと休んでください」って言ったら、「じゃ、今度はお風呂に入りに来てください」って声をかけてくださって。昼間にお湯を沸かしてお風呂まで世話をしていただき、本当に生きているのだと感じました。

 自衛隊からの物資が届くまでは、地区のみなさんから多くの食べ物とお風呂入浴の薪も惜しまず焚いて頂きました。そして大切な事。病院に通院しても薬も無く、飲むことが出来ない方が結構何人もいまして。津波から3日目からは地区の若いおとうさん方がガソリンも乏しい所、交代で病院から病院へと回って薬を手にし、まずはホッとしたりして。感謝です。

 家が津波に遭った遭わないにかかわらず、身内も悲しいことが誰の身にも突き刺さっていましたが、私達、被災者は田束地区のみなさんには自分事の様に一生懸命優しくして頂きました。

 

責任を持つのは辛かった

 津波が去った後もとても辛く、長い長い3ヵ月でした。3月11日の津波から3日目に、避難所の炊事班の世話役として伝えられ、これまたビックリ。何の経験も知識も無く、困ってしまいました。なにせこの惨事ですから誰だって自分の事でいっぱいいっぱい。これからどうやって生活をしていけばいいのやらわかりません。でも、「皆さんで一緒にやりましょう」って言いましたら、「はい」っと、返事が出たのでやるしかないと思い、共に苦しみ、悩み、辛い辛い3ヵ月間。雨の日も、風の日も、1日3食、一番多い時で150食分の準備をしました。メニューはごはん、味噌汁、おかずを2品ぐらい作りましたし、物資のカレーや、缶詰、色々皆さんが考えて子どもさん用とか年配さん用とかぐらいに分けて毎日の中でアイディアを出しながらやってきました。

 炊事班と言ってもトイレ、避難所の寝起きした所、炊事場、自宅待機者を含むとすると300人分の物資の仕分け、その他色々。かなりのゴミ片付けと焼却。物資はパソコンで自衛隊に注文でしたので、若いお母さんにお願いしました。本当にわからない事だらけでした。誰に言われるでもなく、それぞれの得意分野を発揮し、強力なみなさんに大変助けられました。

 避難して1ヵ月ぐらいして、これらを何人かずつ組を作ってローテーションで回ることにしてから、いくらか一人一人の時間が取れる様になりました。でも、田束地区全員でのローテーションのはずでしたが、無理は出来ない家族、身内、友人、毎日毎日捜索等。心配やらと仕事に戻ったり、人手が手薄になってしまって、結局13人ぐらいでのローテーション。とてもとても大変で苦しく、無我夢中でした。田束地区の一人一人、みなさん本当にお世話様でした。感謝しております。

 そして世界中から、日本中のみなさんからご支援頂きました事、深く感謝申し上げます。心から強く思いました。

 

落ち着ける我が家を建てたい

 仮設は凄くありがたいです。だけども、落ち着く場所ではありません。私の家は津波に流されてしまったけれど、ちょっとした小屋が残りました。そこで薪ストーブを焚いたり、水道や電気を引っ張ったりして。昼間にはお弁当持って行ってます。洗濯物も持ってそこで干して。それから畑にも野菜蒔いたり。やっぱりそこにいると近くはみんな津波でやられた場所。だけれども、遠くに目線をやると見慣れた景色が見えます。今寒いからストーブなんか焚いてると、私達昼間ずっとそこにいると思うから誰かが訪ねてきます。そうすると「あぁここいいなぁ」ってゆっくりしていきます。笑ったり何したりして話語りできるからお互い良いんだと思います。

 私は仮設住宅でじっとしていられません。ここが嫌ではなく、やることがいっぱいあってね。いつになるやら、我が家の再建とビニールハウスの再建を願いつつの毎日です。

 

【プロフィール】

話し手:佐藤ミツ子さん

岩手県陸前高田市米崎町出身。昭和のチリ地震津波を経験。震災以前はハウスでトルコキキョウやキンセンカをメインにした切り花の栽培、道の駅の直売所で販売をしていた。

聞き手:須藤佳美

玉川大学文学部比較文化学科2年

 



■ 岩手県陸前高田市田束地区

宮城県南三陸町
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